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空につながるための家

バガボンド

うちの父、無趣味で物欲がなくて、何をあげても喜ばない。
これまで喜んだプレゼントって、子供の頃小遣いを貯めて買ったイカゲソの佃煮(駄菓子屋で売ってるヤツ)と、数年前の「坂の上の雲」だけ。
20年に一回以下ということか。。すごい低打率。
高評価で時代劇のバガボンドならいけるのではないかと思い立ち、先日古本をまとめ買いして、まず自分が読んでみたのだが...

バガボンドが存在するこの世の中を祝福して、全てのものに感謝したい!!!!

と、思ってしまった。

まず、絵の美しさ、表情が美しい、躍動感溢れる人体表現が美しい。
フキダシの線一本さえも魅力的。繊細なペンの線、勢いある筆の線、微細な描きこみ、大胆な単純化...表現したいことのために、マンガでできるいろんな技法を極限まで駆使している。
作者の方は、1コマ1コマ、本当に苦しみ、同時に心から楽しみながら描いたのだなあと、見入ってしまう。
数分をじっくり描いたと思えば、数年があっという間に過ぎ、時折すっと挿入される過去や未来、ストーリーの流れ方もよい。
人物がことごとく魅力的、武蔵や小次郎はもちろんなのだが、彼らが出会い、切ってゆく人達が、メインキャラであっても端役であっても、皆、これまで歩んできた人生の積み重ねを感じさせて、感情移入してしまう。
ことに中年~老年男性の面構えが味わい深い。子供の描き方もうまい。
剣に限らず、多分どんな分野でも、才能のある人が道を極めてゆくときに味わうだろう凡人には体験できない感覚が、マンガで表現されている。これを描くのはものすごく苦しい作業だったろうなあ。

特に大好きな場面、胤舜との戦いの前に、武蔵が蜘蛛を見て、すっと星空を見上げるところ。
鐘巻自斎が小次郎を抱き上げて、さびしかったろう、と言うところ。
小次郎が3歳のときに、育ての親の鐘巻自斎を見て、剣を振るう真似をするところ。
本阿弥光悦の家の庭での、武蔵と小次郎の枝遊び。
蓮華王院での伝七郎の決闘で、武蔵が何度も頭の中で伝七郎を切るところ(誠実で努力家の伝七郎、大好きだったので、悲しいのだが)。
...挙げていたらキリがない。



初読では物語世界に入り込んでしまって、次は?次は?と本を置くことができない。意志力を総動員してなんとか犬の散歩に出たのだが、「あら、お散歩?」とか、ご近所の方達が話しかけてくださるのが、不思議でならない。
(女、なぜ私にそのように話しかけるのだ。私は人を切った)
用水路の脇を歩いていると、
(川は流れ、水は巡る。人とは何だ)
洗面所で顔を洗って鏡にうつる自分を見て、ちょんまげでないのが不思議。

32巻まで読み終え、また1巻から読み始めると、ああ、ここはこういうことだったのね、と新しい発見があるのだが、今度は、登場人物が背負っているものや(小さい子供や年老いた病気の親がいたり、目の前で親を惨殺された過去があったり)、運命(数ページ後、胴体真っ二つ、喉を突かれる、指落ちるetc..)がわかっているので、読み進めるのが憂鬱。
でも、戦乱期から徳川時代へ、生きるか死ぬかの中で、全ての価値観がひっくりかえって、既成のものには寄りかかれず、自分で見つけて行くしかない人達(特に若者)が、自分の全部をかけて、のびのび生きたいようにふるまう様子は、やっぱり気持ちいい。


父もハマッてくれるといいなあ。
イマイチだと、腹立ててしまいそう。
by soraie | 2011-07-17 10:42 | その他
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