空につながるための家

邦画2作

クヒオ大佐とおっぱいバレー



「クヒオ大佐」
出演者皆さん、上手かった。
怪しげな日本語を操るクヒオ大佐が焦ると挙動不審に視線をさまよわせるところとか、ホステスの人のしたたかな女狐ぶりも見事だったし、弁当屋の松雪泰子も、背中を丸め、さびしそうに申し訳なさそうにしてるふっとした拍子に、なぜかブスに見える瞬間があったり。
...でも飽きてしまった。
なんでだろう。戦後の歴史も、登場人物それぞれの人生も、悲しすぎて笑えないからだろうか。


「おっぱいバレー」
おっぱいに憧れ、なんとか見たい、触りたいと願う少年達の物語。
舞台は1979年の地方都市の中学校。私とドンピシャリだ。もうこの時点で鷲掴み。
服装、当時の流行歌、家電製品、それに車(よく残ってたなあ!ああしたデザインの車、今となっては涙が出るほど懐かしい)...がんばって再現している。

現代はおっぱいが氾濫しているから...やはりそれに命がけで全てをかけて恋焦がれるにはギリギリの時代なのではなかっただろうか。
綾瀬はるかが高村光太郎の道程を口にするたびに(「私はドーテイが好きです」)鼻血を出し、道端で拾ったボロボロのエロ本を代々の宝として後輩に継承し、おっぱいの感触がヴァーチャルに体験できると伝え聞いて時速80kmで両手離しして坂を下って崖に転落し...今はクリックひとつでおっぱいどころでないところまで一気にアクセスできてしまうから。。

青木崇高(草々)がいい!
綾瀬はどう見ても21世紀を生きる人なのだが、青木はシャツの裾をズボンに入れ込んだデカイ尻、どことなく暑苦しい顔、人物の持つ70年代の空気まで再現している。
四草もパーマネント野ばらでいい味を出していたし、徒然亭の面々、がんばってるなあ。

おっぱいというのは男性全てにおいて免罪符なのだろうか。
おっぱいが見たいために全てをかけてバレーに打ち込む部員達に、鬼のように怖い不良の先輩も、「いい先生じゃないか」と爽やかな笑顔を見せ、元実業団バレー部に所属していた父兄まで、「ナイスおっぱい」としみじみつぶやく。
まだ見ぬおっぱいに向かってひたむきに走り続ける彼らも、やがて、恋人ができ、家庭を持ち、髪の毛が薄くなってお腹が出て、うんざりするほどおっぱいを触るようになって、そして、あのときのひたむきさをどこかに持ち続けながら、仕事に打ち込み、妻子を守るのだなあと、感慨深かった。
最後の、町を去る綾瀬が電車の窓を開けると生徒達が手を振り追いかける、往年のいろんな作品で見られる美しいパターンを壊さずに踏襲したところも、あの時代への愛とリスペクトが感じられ、エンドロールの端で、カチンコを持っておどける出演者達のチャーミングなカーテンコールの姿に涙、涙。

こんなにおもしろいのに、この作品がヒットしなかったのは、ひとえに綾瀬はるかがおっぱいを見せなかったためだ。CGでもよかった。ちょっとした谷間だけでもよかったのに、綾瀬はこれっぽっちも見せなかった。
性的な情報が飽和状態の現代でも、やはり世間はあの中学生達と同じなのだろうなあ。
by soraie | 2010-06-04 17:04 | その他
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