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空につながるための家

トリー闘病5 〜4月30日まで〜

4月は、バタバタしてた。
ギリギリまで詳細がわからないまま、仕事のスケジュールを組んだり、必要書類の用意を進めたり、仕事上の大きなイベントが重なったうえに、植木屋さん、通院...その合間に、夏休みに見学に行く予定だった海外の施設とやりとりしたり、年若の友人から助けて!と電話がかかってきたり。
本来仕事がない日も通勤したりして、帰宅がずいぶん遅くなったこともあったね。
私がケモブレインだかたもブレインだか異常に忘れっぽいのをいつもカバーしてくださったり、明るく受け止めてくださる方たちに囲まれて、ありがたくて、どんどん自分の体力の許容量を超えていってた。
トリーには私しかいなかったけど、私はいろんなつながりやしがらみや楽しみの中で生きていてね、ごめんね。どんな仕事よりお前の方がずっと大事だよ。働いていると、元気で生きてる実感がいつも濃厚に感じられたけど、お前の黒い大きい体の方がずっとがつんと確かな生きてる喜びだったよ。


4月6日にかかりつけの近所の動物病院で、健康診断をしてもらったね。
結果は、コレステロール値が高めな他は良好で、トリーも中高年になったってことだね、って夫と話してた。
いつも近所の川沿いの桜を見に行くと写真を撮ってたけど、今年だけは撮らなかった。来年も行けるだろうって思ってたから。

4月20日にフィラリアとノミダニ予防をしてもらったとき、まぶたのイボ(イボは1年ほど前からあったのだが、最近大きくなってきて、目やにが増えてきていた)について相談したら、今から取っちゃいましょうか?って言われて、急遽手術になった。
イボは良性のもので、心配いらないとのことで、目元がすっきりして、アーモンド型の瞳が涼しげな元のトリーに戻って、ああよかった、これで視界にイボが入ってうるさいことがなくなったねって思ってた。
そのあとの目薬や軟膏、台所で呼ぶといつも素直にじっとしてたね。そのあとご褒美のおやつがもらえるから喜んでたよね。


3.11のあと、東北に、特に福島に旅行するのが夢で、それが叶うときはトリーと一緒に、と思っていて、冬から猪苗代のドッグペンションに問い合わせていたのだが、お薦めは5月とのことで、着々と準備を進めていた。
ガソリンを満タンにしたり、新しいトリーツバッグを買ったり、新しいリードをおろしたり、散歩用のシャツや軍手を大量に買い替えたり。

三春町を歩けたらいいけど、犬連れだと難しいかもしれない。負担がないように、欲張らないで、さっと車で行って、さっと帰ってもいいよね。
6月には山梨にさくらんぼ狩りに行こうね。高尾山も登ろうね。そうだ、江ノ島詣でをした人は、大山詣でもしないといけないんだって。10歳までとして、残り少ない季節季節、そのときにできることをして、いつかしたかったことをひとつひとつ叶えて、うんと楽しもうねって思ってた。

4月28日と29日も、仕事でずっと留守番をさせてしまったね。
4月30日は、朝からイベントの準備をして、式ではうれしくてずっと泣いてた。そのあと走って急行に飛び乗って勉強会に参加して、懇親会も出席して、結局帰宅は夜になっちゃったね。
おじちゃん(夫)と二人でずっと留守番して、でも、夜はおじちゃんの一人すき焼き鍋のおこぼれにあずかって、牛肉をもらってたんだよね。
私には綱渡りのスケジュールだったけど、これでゴールデンウィークの始まり、時間はたっぷり、うんと楽しもうねって思ってた。

3日間も我慢させちゃったから、翌日からたっぷりお散歩しよう。
5月4~5日は私が帰省。 その間トリーは訓練士の先生のおうちで合宿だ。大好きな先生や他のワンコとも触れ合えるお泊まりは、トリーにも晴れのお出かけイベントだったよね。
5月7日はおじちゃんの誕生日だからお前もローストビーフにありつけるはずだった。
5月9~10日はいよいよ福島旅行。楽しいことが目白押しのはずだったね。


トリー闘病4 〜以心伝心〜

トリーがわかった言葉:

Sit(または人差し指を立てるアクション。反省の意を表すときいつも自主的にsitした) 
Down(または手のひらを下に下げるアクション)
Stay(または手のひらを見せる)
Come(いつでもトリーが一番好きな指示だった)
Heel(または左手で左の腿を打つアクション)
Stand(または手を水平に左から右へ)
Jump
お手(強烈パンチをよくくらった)
おかわり
ごろーん(横になって寝転ぶ。)
Kiss(猛烈にキスされ続けるのを防止するため。「キス!はい、止め!」)
Up(2階にあがる)
Out(口にくわえたものをリリースさせるとき)
House(バリケンや家の中、車の中に入る)

ご飯、食べる?、食べたい?、 お腹すいた?、おやつ、ねんね,,,

トリー、トーリー、トリちゃん、トリ君、トリ吉、トビー、黒い子...

いい子、おりこう、かわいいね、えらいね、すごいね

悪い子、あ!(警告)、No!、バイバイ

散歩、留守番、お水、雨、シーシー、ウンウン、お庭

センセイ(訓練士の先生が大好きだった)
XXセンセイ(この言葉で動物病院に直行した)
猫、鳥、うさぎ、おじちゃん(夫のこと。単身赴任が長かったので)、お友達

ちょうだい、もってこい
チューチュー(音がチューチュー鳴るおもちゃ)
スリッパ

...あと、なんだろう。思い出せない。
犬に文法はなかっただろうが、これらを組み合わせて理解できた。「お庭でシーシー」「チューチュー持ってこい」「スリッパもってこい」「おじちゃんが食べてるよ」等々

言葉じゃなくて、何か特別なやり方があったのかもしれない。トリーは私の言うことをかなりわかっていたし、言う前の思考までわかっていた。
おやつを前に、Stayをかけて、「よし」と言わなくても、目に柔らかい表情をにじませるだけで、食べ始めたし、「まだだよ」と言わなくても、ピリッとした雰囲気を出すだけで、ずっとStayしてた。
散歩中、進行方向にある横断歩道の信号が青の点滅になって、「あ、渡りたいな」と、心の中で思うだけで、小走りしてくれた。
トリーは私に以心伝心だったね。
私は世の中で一番トリーのことをわかっていた人間だけど、それでも全然わかっていなかった。
前から体がおかしかったんだね。頭も痛かっただろうね。めまいもあったろうね。
お前がいつも変わらず食いしん坊で元気でいてくれたから、こんなおもしろい楽しい子が悪い病気だなんて考えもしないで、お前に甘えていたよ。

トリー闘病3 〜普通の毎日〜

最近は仕事の量を減らしていたものの、準備したり、雑務や行事があったり、負荷が大きかった(でも、どれも達成感があって楽しかった)。

この秋~冬は一緒にシングルベッドで寝ていて、お互い無理はあったものの、かなりすごく暖かくて具合よくて、夏布団のまま春を迎えてしまうほどだった。

私はめまいに悩まされていて、起床時間の1時間位前から、徐々に頭を起こして、そーっと起きるということをしていたから、トリーにも付き合ってもらってた。
トリー「もう起きようよー。ご飯食べようよー」
私「まだよ、まだまだ。ねんねだよ」

いよいよ私がベッドから起き上がると、わーい、わーい、おはようってはしゃいでたね。朝からテンション高くていつもご機嫌だったね。
庭かケージ内のトイレでおしっこさせて、フードをちょびっと(夫が独身時代カップラーメンを作るのに愛用してた計量カップに山盛2杯が1日の量だったけど、お腹に負担をかけないよう、それを何回にも少量に分けて与えていた)。
高い棚の上に置いたフードの袋を取るために、椅子に乗るのを見るや、喜びのあまりぐるぐるリビングを走り回ったね。
ステンレスの餌入れに、カラカラカラ~って、フードを投入する音を聞くと喜びも頂点、大変だー、一大事だーって真剣な顔で、バリケンに駆け込んだね。
1日に何度もそんな幸せの絶頂に立ち会えて、私も楽しかったよ。
ゴミ出ししたり、表を掃いたり、洗濯物を干したり、私が動く度に一緒について回って、しおらしい顔をしたり、反省してみせたり、ぱっと明るい顔をしたり...賑やかでせわしなくて、いつもおもしろかったよ。

仕事がある日は、近所の公園まで短めのトイレ散歩、帰ってまたご飯、その後、11時前から夜までずっとお留守番だった。スーツケースや板で作ったバリケードを越えて、私のベッドルームに入り込んで寝てたね。

仕事がうまくいかなくて落ち込むこともあったけど、自宅の駐車場に車を入れて、エンジンを切ると、玄関の扉の向こうからピーピー甘え鳴きする声が聞こえてきて、どんな疲れも悩みも吹き飛んだよ。あのピーピー声があんまりかわいらしくて、しばらく車内で聞きほれてたこともあった。
玄関をあけると、靴をくわえて2階に駆け上がっていったね。ダメッ!と阻止すると、洗面所に走って行って、足拭きマットをくわえて駆けていったね。
私が着替えていると様子を見にきて、バッグに顔を突っ込んで怒られてまた2階に駆け上がって。

私が自宅でイライラ仕事の準備をしていると、あんなにべったり甘えん坊なのに、ふっと思い立ったように階下に降りていったね。
ピリピリしてる人と同じ部屋にいたくないよね。ごめんね。怒ってた訳じゃなかったんだよ。
それでも傍に来ておすわりをしてじっとこちらを見つめて、
トリー「あのー...何かお忘れじゃないですか?」
私「お散歩?ご飯?しょうがないなあ」

お散歩中もずっと仕事のことを考えたり、ぶつぶつとシミュレーションしたり、アイデアを振り絞ったり、上の空の人とお散歩しても楽しくなかったでしょう?それでも協力してくれてたね。

夫は帰宅後、りんごをひとつ食べるのがいつもの日課だった。
そのおこぼれをもらうのがトリーの夜の楽しみだった。
りんごの皮をむきはじめると、鼻を切り落としてしまうんじゃないかというくらい顔をまな板に近づけて、じーっと凝視していた。
厚めに切った皮をやると、ピラニアのように目をむいて食いついてきたね(お腹に悪いから少しだけ)。
芯を取って8等分にした1切れを細かく切り始めると、大変だー、一大事だーと躓きながらバリケンに飛び込んでいったね。

私がお風呂に入っている間も覗きに来たり、脱衣所のパンツやソックスを盗んだり、やりたい放題だったね。
一緒に寝る前、いつも勿体つけて、お前なんかあっちへ行きなさい、今日は私のベッドには入れてやらないよ、と言ったのは、ええーっ!??(悲)、もういっぺん頼んでみよう(希望)、本当にいいの?やったーっ!!(喜び)、気が変わらないうちに早い所布団に潜り込まなくちゃ(焦り)...くるくる変わる表情が面白かったからだよ。


仕事が休みやキャンセルになったときは、長いお散歩や車での遠出、ワクワクしたよね。
自宅から半径4km以内は、歩いていない道はないんじゃないかという位、歩き回っていたけど、なるべく知らないところに行こう、歩いていない道を歩こうって決めて、いろんなところに行ったね。
遠くにこんもり木が茂った神社や、瓦屋根のお寺らしきものが見えると、そこまで歩いて行ったっけ。この辺りの神社仏閣でお参りしていないところはないんじゃないだろうか。道道のお地蔵さんにも必ず、私とトリーの健康祈願していたから、バッチリだって思ってたんだけど。

川や森、お前の大好きなグランベリーモールは閉鎖されちゃうんだって。タイムスリップしたみたいな里山の風景、駅前の鯛焼き屋さん、ドッグカフェ、焼き鳥屋さん、寺家ふるさと村から三輪まで歩いたこともあったね。芹が谷公園、薬師池公園、小野路...
湘南はよく通ったね。観音崎、秋谷、江ノ島、七里ガ浜から長谷。夢見が崎の動物園に行ったときは興奮してたねえ。夕日の滝では堀北真希さんのご主人に会ったね。みなとみらいでは華麗なジャンプでソフトクリームを食べられちゃったね。

歩いていると、いろんな人に話しかけていただいたね。昔自分も犬を、ドーベルマンを飼っていたと懐かしそうにその子の名前や、どんな子だったか、教えてくれた人たちが特に心に残ってるよ。
心臓の病気のあと毎日歩いてた魚屋のおじさん、いつも自転車に乗ってた東北訛りのおじいさん、亡くなった愛犬が夢に出てから立ち直ったと言っていた女の人、みんな、幸せにしてるかなあ。

仕事のない長期休みの日、朝起きて、「どうする?海行く?山行く?川?どこでもトリーの好きなところに行こう」っていうときが最高だった。

本当に本当に、毎日幸せだった。

トリー闘病2 〜お互い歳をとったよね〜

トリーはずっと小さい子供みたいでいてくれたけれど、1年くらい前から、おじいさんになったなあという場面が増えてきた(脳腫瘍がさせていたことなんだろうか)。

3年ぐらい前だろうか、時折腰が痛むようになって、ドッグランなどで激しく走らせることは控えていたのだが、ジャンプの掛け声で、高いところに飛び乗ったり、障害物を飛び越えたりするのは大好きだった。
目を合わせて、にやっと楽しそうな雰囲気を出すだけで、「ジャンプ?ジャンプ!ジャンプしたいよー」と、のってきたし、散歩中もっと遠くまで行きたいのに私が帰ろうとして、固まって拒否しているときも、片脚を上げて「ジャンプ!」って言うと、騙されて、ジャンプして、そのあと自宅まで歩いたものだった。
よく保育所の赤ちゃんたちが公園で遊んでいる前を、おすわりさせてジャンプさせて、拍手喝采をあびたっけね。保育士さんに、ありがとうございます、なんてお礼を言われて。

あんなにジャンプが好きだったのに、今日はいいです、ってのってこないときがあったね。

おでかけのとき、喜び勇んで車に乗っていたのに、おやつを見せてもじっと立ち止まって、事情があるんですというように考え深そうにしていて、よっこいしょと下半身を持ち上げて介助すると車に乗り込んだね。
夜、私のベッドに潜り込むときも、おふとんに入っていいよって許可すると、喜び勇んで、私の気が変わらないうちに早くしなくちゃって焦ってベッドの上に飛び乗ったものだけど、じいっとしばらく考えたり、飛び乗ろうとしてこけちゃうことがあったね。

口の周りにも白髪が増えて、若犬の印だった前脚の黒い斑点もなくなって、トーリーじいちゃんなんだね、って思ってたよ。3歳位からかな、落ち着いてきて「えらいね、もうお兄ちゃんだね」ってよく言ってたけど、もう、お兄ちゃんじゃなくて、おじいちゃんなんだなって思ってた。

私もね、おばあちゃんになったよ。
今ホルモン療法をしていて、そのせいかもしれないけど、脳の認知機能がものすごく衰えていて、言葉や数字を記憶したり、文章を読んで一度で内容を理解したり、電車を乗り換えたり、そういうことが難しいお年寄りの気持ちがやっとわかったよ。
めまいとか睡眠障害とか、あと、右腋のリンパをとってから、右側で重いものを持てないとか、傷つけちゃいけないとか、いろいろあってね、無理しすぎないように加減しながら、だましだましそーっと、人様に迷惑かけないように時間をかけてチェックして、生きていこうって思ってた。
おばあちゃんでいることに全然不満はなかったよ。
同じ病気だった友達は、もう一度働くのが夢だって言って亡くなったから、なんでも食べられてどこへでも行けて働けて、こんな幸せなことはないって。

いつかしよう、じゃなくて、なるべくしたいことは叶えて、でも、欲張りすぎないで、無理しないで、って思ってた。
結果的に、トリーにしわ寄せがくることが多かったね。誰よりも自分に近い「身内」だから、しわ寄せしたり後回しにしたり、我慢させてしまったね。一番大事だったのに。
おじいちゃんとおばあちゃん、頼りないペアだったね。ごめんね。


トリー闘病 〜はじめに〜

我が家の愛犬トリーが他界しました。
(多分)脳腫瘍で、あっという間でしたが、厳しい状況のなか最後まで本当によくがんばりました。8歳と11ヶ月、ドーベルマンは短命とはいえ少し早かったです。

これまであまりにもいつも当たり前に一緒にいたので、今は、トリーがいない生活が不思議なのですが、今にこれに慣れて、トリーとの日々のなんでもない、でも私には何より大事なことが薄らいでしまう前に、トリーがどんなだったか、書いておきたいです。
闘病生活が始まってから、あっという間にいろいろなことが起こって、その度にこれは最善なんだろうかと自信がなく不安で、今でも後悔ばかりなので、介護メモや処方箋や病院のレシートをもう一度整理して、何が起こったのか、時系列でまとめて、自分自身の気持ちや記憶を整理したいです。
必死にいろんなサイトや闘病ブログを検索した日々、脳腫瘍のドーベルマンの情報がほとんどなかったので、整理したことをどこかで提供することで、少しでも誰かの役に立ちたいです。
笑ってご機嫌でいるトリーじゃない、苦しんで悲しい顔のトリーを公開するのは不本意かもしれないけれど、トリーは私のすることをなんでも許したので、許してくれるでしょう。

だらだらとものすごく長い文章、ひどく感情的だったり、多くの人にあまり意味のない文章がこれから延々と続くけれど、少しでも誰かの役に立てたら、と思います。

発病が5月1日だったので、この記事と、発病前の出来事については、4月30日にまとめてアップし、発病以降の出来事は時系列に合わせて投稿していこうと思います。