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空につながるための家

トリー闘病10 〜B病院へ行く〜

トリーは、自分からは食べられなくなったが、私の手からならまだ細々と食べることができていた。食事の量も少ないのだが、前日からうんちをしていないのも心配だった。
階段の上り下りは休暇中の夫にお願いしていたが、もうすぐゴールデンウィークも終わる。モンベルから出ているキャリーハーネスを注文した。私のような女性でも抱っこできるそうだ。この情報を知ったのは、トリーを飼う前によく拝読していたドベブログの記事からだった。ことごとく皆さん他界されていたのにショックを受けたが、介護の情報は本当に助かった。

9時の診療開始時間を待ってB動物病院に電話して、無理に院長先生の今日の診察にねじこんでもらった。
友人がうちに来てくれ、別の友人のワンコが使っていた犬用担架やハーネスを、使うときが来るまでと、貸してくれた。
その友人が付き添ってくれてB病院へ。3列シートの後部座席を倒して大きなベッドのようにアレンジしてくれて、おかげでトリーも快適そうだった。道順や病院のシステム等々、わたし一人でも行けるよう都度細かく教えてくれた。
皆、最近愛犬を見送った人たちだ。ありがたく心強かった。
トリーは、大好きな人達と車でお出かけで、ずっと「がんばってるね、えらいね」と褒めてもらって、特別な日みたいでちょっとうれしそうだった。
過密スケジュールの中、院長先生が少しでも空いた時間に呼んでくださるとのことで、別館の待ち合い室で、バスタオルの上に寝転んで、わざわざ作ってくれたできたての酵素水を飲んで、まったりキャンプしてるみたいだった。
1時間半位待って、診察室に呼ばれて、若い獣医師から問診を受け、体重測定(27kg。ショック)、採血をして、それからまた1時間くらい待って、院長先生がやってきた。
短髪の五十代位の方で、声が大きくて精力的で気さくで、お坊さんみたいな方だなと思った。
無理やり診察に割り込ませていただいたけれど、丁寧に丁寧に触診していただいた。触って状態を知るのがこの先生の診察の特長らしい。
知らないところで知らない人にいやなところを触られたりつつかれたり叩かれたり、それでも従順に受け入れるトリーを見ていたら、なんにも訓練が入っていない、信頼関係もない、まっさらな子犬の頃が思い出されて、泣けてきた。

院長先生の見立ては、やはり脳腫瘍、もしかしたら脳炎かもしれない、とのことだった。
余命は?と聞くと、ちょっと苦笑いされた。そうですよね、MRIも撮ってないのに。
院長「うーん、薬が効けば年単位、効かなければ数ヶ月かな」
トリーは、ガクッと弱くなる子、石にしがみついてでも...というようなところのない子だから、頭の中で、ちょっと差し引かなくちゃな、と考えた。

大学病院に紹介状を書きますが転院しますか?と聞かれ、脳腫瘍か脳炎かで治療内容が変わらないのだったら、こちらでお願いしたい、延命より苦痛を取り除いてやりたいという希望を伝えた。
治らないものだったら、また転院、検査で負担をかけたくない。

点滴:
ソルコーテフ(ステロイド剤)
ミラクリッド(膵炎やショック状態の改善に用いる)

点滴の最中、友人から電話があった。
ゴールデンウィークに帰省した際、会おうって約束していたのだった。
友「今どこ?(ニコニコ)」
私「病院です」
友「どうして?」
私「家族が脳腫瘍と今伝えられました。わーんわーん」
友「泣かないで。泣かないで」
ものっすごくびっくりしてた。ごめんね。

点滴が終わったのはとうに診療時間を過ぎた8時過ぎだった。
帰宅して、深夜2箇所の職場にメールを書いた。
家族の病気でやめさせてほしいと。

処方薬:
プレドニン(ステロイド。炎症をおさえる)
グリセリン(脳圧を下げる)
ATP(血流量を増加させる)
ハイゼット(自律神経の調節)
ガスター(胃薬)


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がんばって点滴を受けてるトリー。えらいね。

トリー闘病9 〜トリーが吐いた〜

朝、トリーが吐いた。最初、いつものようにガツガツとフードを食べかけて、食べられなくなってしまった。自分でも意外そうだった。なんで僕食べられないんだろうって顔してた。
そうだよね、初めてうちに来た日も、断耳で大量出血した日も、去勢手術の後麻酔やら痛みでヨロヨロしてた日も、どんなときでも、トリーが食べられないってなかったから。

ステロイドと抗生剤を昨夜と今日の2日分もらっていたが、今日の分を与えるのは控えた。
それでも、トリーはまだ元気にしていた。
ヨロヨロ歩きながらも階段を降りようとするので、目が離せなかったから。
お散歩に行けない代わりに庭に出した。
芽を出した苗を踏んづけて、あーっ!しょうがないなあって、叱ったり、残念がったりしてた頃が、無性に懐かしかった(ほんの数日前なのに)。

休日で病院は開いていない。
今日B動物病院に電話をしても通じないし、D医療センターに決めていたところで最短で診てもらえるのは5日だった。
だから、今は何も打つ手がない。
それでも、不安で、これでよかったのかな、最良の道を行ってるんだよね、と何度も夫に確認した。

それから夫と、最悪の場合のことを話し合った。
自分が乳がんになったとき思ったのは、治らないなら、延命治療はなるべくしたくないなということだった。
この先寛解するという希望があれば、辛い治療でも先に楽しみがある。でも、治らないものなら、無治療はないけど、積極的な治療できつい副作用に耐えて1日でも長く生きるより、残り時間が短くなっても、緩和を中心にして、なるべく穏やかに笑って過ごしたい。重粒子線とか免疫療法とか、お金がかかる治療もしたくない。
トリーが脳腫瘍だったら、もう治らないってことだよね。手術で腫瘍を摘出したり、毎回全身麻酔で放射線治療を受けさせるより、元気でいた頃のように、いつものソファで安心して寝かせてやって、最期までずっと私がそばにいて見守ってやって、できる限り投薬で痛みや苦しみを取り除いてやりたい。
それでいいかな、うん、そうしよう、だから、D医療センターに行かない選択でいいんだよね、そういうことを話した。


今、トリーが生きていて、息をして温かいということがありがたくて、元気すぎるほど元気なのがいつも冗談の種だった、何事もない日常というのがどんなにか貴重なものだったか痛いほど実感した。
なのに、私はトリーのすぐ横にいて、トリーを見ないで、スマホの画面ばかり見ていた。
「犬・脳腫瘍」とか「ドーベルマン・歩行障害」とか、いろんなキーワードで必死に情報を集めていて、それらを上手に利用するというより、そうした文章を読んでいることで少しでも気持ちが落ち着いた。

この日も、一緒に一階の和室で添い寝した。

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今思うのは、痛みなく、穏やかに笑って死ぬなんて不可能だってことだ。
昨日できたことが今日はできない、そうやって当たり前に享受していた幸せなたくさんのことを、ひとつひとつ手放していかなければならないのは、かなりがっかりすることだし、当然痛みや苦しみを伴うだろう。
心と体が健やかに動いていたその複雑巧緻な機能が完全にストップするまでには、すさまじい勇気や忍耐が必要なのだと思う。
どこまで治療をがんばって、どこから緩和中心に考えるのか、自分自身であっても難しい。
まして、言葉が話せない、自分で治療を選べない犬ならなおさらだ。
自分の病気、自分の体だったら、自分が選択した道をいけば、後悔はあっても最後の最後に折り合いはつくんじゃないかと思う。
ペットの場合は、ずっと答えが出ないことを引き受けるしかないんじゃないだろうか。

トリー闘病8 〜急変〜

朝、近所の公園を散歩したとき、ふらふらっとバランスが取りづらい歩き方になり、公園入り口を入ったすぐのところで、バタンと倒れてしまった。前日までは後肢はふらつくものの元気いっぱいだったのに。
なんでもないことのようにふるまって、「大丈夫?やだなあ。はいはい、行こうね」と励ましたのだが、もういいです、うちへ帰りましょう、と言い出した。公共の場ですっかり自信をなくしてしょんぼりしているとか、自分でもなにが起こっているのかわからなくて戸惑っているように見えたけれど、実際のところ、かなり調子が悪く、もう散歩どころじゃなかったんだろう。
「トリちゃん、じゃあ、あそこのベンチで豚耳食べて帰ろう」
大好きなおやつとなると話は別だった。目を輝かせて10m位離れたベンチまで自分からずんずん歩いていき、そこでおすわりさせ、もうちょっと散歩を楽しんでからあげるはずだった豚耳を食べさせた。
でも、悲しそうな顔をして食べない。

...え?

じっとこちらを見つめる顔、左の唇がだらんと垂れて頬からよだれが出ていて...異常だった。
「しょうがないなあ。こっちの歯で食べなさい」
ことさらになんでもないようにふるまって、もう片方の奥歯で噛ませて食べさせて、うちに帰ったが、ぼんやりしている。
そのうちに、左顔面の下垂が目立つようになり、息が荒くなってきた。

かかりつけのAペットクリニックに電話したが、祭日で誰も出ない。以前だったら休診じゃなかったし、必ず電話に出てくださっていただろうけれど、もう両先生もお歳を召していらっしゃるから...
かかりつけじゃない病院で知らない先生に診てもらうことで、かえってトリーを疲れさせ、ストレスをかけるんじゃないかとためらいながらも、そんなこと言ってられる状態じゃないと、電話帳やらインターネットで調べて、とにかく近いところから電話をかけまくったが、どこも休診。
昔から個人でされているクリニックにかけたとき、転送されて、パチンコ屋さんにいるらしいおじいさんの先生が出られて、救急病院に行きなさいと助言していただいた。
初めて電話が通じて、受話器の向こうの温かい口調に初めてほっとした。早速救急病院で予約をとったのだが、診療開始時間は19時、それまで待つ時間も惜しくて、また電話をかけまくった。
うちから車で30分ほどのC動物病院に電話がつながって、1時間近く丁寧に経過を聞いてくださり、個人病院であるC動物病院でできること、できないことを説明してくださった。それ以上の高度な検査や治療はD医療センターを紹介していただけるとのこと、とにかく早く診てもらいたくて、トリーを連れて、夫とC動物病院に向かった。

おでかけで興奮して、元気になってしまったトリーは、タカタカ走って病院に入り、C先生を驚かせた。
「電話の感じだともっと悪いと思ってたんですが、今、元気ですねー」
C先生は、長髪を後ろに束ねた四十歳位の男性で、いつも通っている美容院の美容師さんを思い出させる風貌だった。

2時間以上かけて足をつついたり、叩いたり、ぐっと押して戻りを診たり、血液を採取して、機械でも、顕微鏡を使って目視でも検査していただき、耳の中からお尻の穴まで全部チェックしていただき、それを、私達夫婦に噛み砕いて説明してくださった。

初めての病院だったけれど、トリーに口輪をしないで、やさしく接してくださり、トリーもリラックスして、診察室から先生がいらっしゃる奥の検査室までトコトコ歩いて見に行ったほどだった。

結果:
左顔面麻痺、チック
眼振(ひどい目眩でぐるんぐるん世界が回っている状態だろうと)
右目の反応鈍い。眩しがらない。
足の麻痺は深刻ではなく、反応もある。目眩のためにふらつくのかもしれない。

<血液>*基準値外のものだけ抜き書き
WBC 白血球 43 (どこかで使われているのかもしれない)
Lym リンパ球 5 (ストレス?)
Plt  血小板 6.1 (どこかで出血している?)
CRP 炎症反応性蛋白 2.0 (感染、炎症)
GOT 肝酵素 62
TCHO 総コレステロール 318
ALB アルブミン 2.4

脳、神経、血小板...ひとつの病気から来ているものか、複数の病気が重なってこの状態になっているのか、個人病院で自分ができることは全てした結果、それぞれの可能性を示唆することはできても病名を特定することはできない、とのこと。
これ以上はD医療センターで精密検査をするべく、検査しながらも、何度も頼み込むように予約のお電話をしつづけてくださっていたのだが、そこで私が友人からのメールを開き、5月7日にやっとこさ予約を入れてもらったB動物病院でも、容体の悪化を伝えれば休診日でなければ予約なしで診てもらえるよ、とのこと。
D医療センターでも、B動物病院でも、最短で診てもらえるのは5月5日。
実は、D医療センターがめちゃめちゃ設備がよく、めちゃめちゃ治療費がかかるという話はお散歩のときに出会ったおじいさんから聞いていた。説明のないまま検査に数十万円、入院で数十万円、結局おじいさんの愛犬は亡くなってしまったそうだ。この日D医療センターでは初診料と休日診療料に◯万円かかる、と聞いたとき、夫は治療費全部の金額だと勘違いしていた。二桁違うだろうことを言えない。。
B動物病院で助かった胃捻転のワンコ、B動物病院で痛みをコントロールして最期まで幸せに天寿を全うした骨肉腫のワンコ...B動物病院ではいい評判ばかりを耳にする。

私「あのう...B動物病院で診てもらおうと思うんですが」
C先生がぎょっとして、D医療センターとの電話を打ち切り、お気持ちを切り替えるように大きなため息をついて、忘れられない言葉を口にされた。

C先生「わかりました。今、soraieさんがされた選択が一番いい道なんです。決して後悔しないでください」

どんな道をたどっても、後悔することをわかって、おっしゃってくださったんだと今はわかる。獣医師って、患畜だけでなく、飼い主も治す職業なんだ。


脳腫瘍にしては元気すぎる、こんな元気じゃいられないはずだ、っておっしゃってくださったけど、脳腫瘍かもしれない。複数の症状が複数の原因でいっぺんに出ることって考えにくいから...
「可能性がある」はっきりとはおっしゃらなかったけど、最悪の病気へ私達の気持ちをソフトランディングさせてくださったんだなと今ではわかる。

処方薬:
抗生剤(マルボフロキサシン)
ステロイド(プレドニゾロン)


1階の和室に布団を敷いて、添い寝した。階段の昇降はなるべくさせたくなかったし、ここなら玄関脇で、すぐに庭に出してトイレさせることもできる。トリーは寝返りを打てなくなっていて、介助しながら夜を明かした。
押し合いながら一緒のシングルベッドで寝ていたのに。邪魔だよとか蹴ったりして。

もっと悪くなったら、2階のリビングで過ごすことになるだろうけど、まだ先だって思ってた。
トリー、ごめんね。私よりお前の方がずっとひどい目眩だったんだね。トリー、こんなひどいことになっていたのに、ごめんね。
早く5月5日になりますように。早く診てもらおう。


この日から半年経った今でも、病院の選択について誤りだったと苦い気持ちがこみ上げる。でも、D医療センターでも、第三の選択の大学病院でも、トリーは助からなかっただろうし、最期の日々を不安や苦しみなく過ごすことは難しかったと思う。

トリー闘病7 〜病院の予約を入れる〜

トリーを病院で診てもらおうと思ったとき、子犬の頃からいつもお世話になっている近所のAクリニックに連れて行く気になれなかった。

Aクリニックは、ベテランの獣医のご夫妻がなさっていて、スパッと決断の早い奥様が院長をされ、穏やかでやさしいご主人が主に休日や夜間を担当されていた。
訓練が入っていなくて、暴れ馬みたいだったトリーを、「この子は性格よしおくんだ」と励ましてくださったり、断耳のあと夜中に大量出血したトリーを「不眠症ですからいいんですよ」と診てくださったり、このご夫婦に最後までお世話になるんだと、信頼していた動物病院だった。
でも、お二人も歳を重ねられ、院長先生の奥様に代わって最近は若先生の娘さんが主に診療をされるようになり、ご主人もお仕事を離れ、引退されているご様子だった。

若先生は、痛みを伴う治療中でも決して鳴いたり暴れたりしないトリーに、口輪を使った。
供血のために治療台の上でがんばるトリーにご褒美のナマ肉を用意したときも、口輪のせいで、与えることができなかった。娘さんが、「トリーくん、おりこうね~」とおっしゃるたび、心のなかで、「おりこうだと思ってないくせに」としか思えなかった。
薬の量を間違えられたり、トリーの年齢を間違えられたり、小さなミスが続いた。
トリーが子犬の頃から悩んでいた下痢も、数年前からときどき起こっていた腰の痛みも、結局原因がわからないまま(膵臓が悪いんじゃないかとか、自己免疫の問題で検査も治療もできないとか)、そのときそのとき対処して、なんとなくここまできてしまっていた。

患畜のほとんどは小型犬で、待合で、怖いとか、噛まれるとか、あからさまに言われたり、嫌な顔をされたりして、後から来た人に椅子を譲ってずっとトイレの前で立っていたり、外で待っていたり...そんな雰囲気だから、なるべく早くすませて帰りたいのに、私用の長電話で待たされて、会計が遅れたり。
犬を飼うときに、信頼できる獣医さんといい関係を築いておくことは大事なことだったのに、何年もの間に、小さなモヤモヤが積もって、いつの間にか、不信感を持つようになってしまっていた(トリーにとっては、Aクリニックは変わらず大好きな場所だった。小さい頃から行きつけていて、必ず治療をがんばったご褒美のおやつがもらえたから)。

Aクリニックじゃない病院へ連れて行こうと思ったとき、まず頭に浮かんだのが、訓練士の先生のお話にたびたび出てきたB動物病院だった。
訓練士の先生の愛犬もそこで九死に一生を得たそうだ。関西から通ってくる人もいるらしい。

B動物病院に電話をして、院長先生を指名し、一番最短の5月7日に予約を入れた。

そんなことないと思いたいけど、連休明けの福島旅行はもしかしたら最後の遠出になってしまうかも。うんといい旅にしようね。
ふたがカパカパだったトリーツバッグを新しく注文した。
だんだん歩行が不自由になっても、ちゃんとトリーの面倒をみられるように、私も体調を整えておかなくちゃ。
2年前から検診でひっかかっていた項目、病院に再検査の予約を入れた。
これから、ふたりでがんばろうね、トリー。
大丈夫、B動物病院はすごく有名ないい病院だから。

トリーの足に負担をかけないように、近所の公園をちょこっと散歩するだけにした。
痛みではなく、感覚がなくてフラフラする感じ。
公園を歩いていたおじいさんが、トリーを見て、手を差し出してきた。
近づいてかわいがっていただいた。トリー、よかったね。

いつも、公園から引き返そうとすると、もうちょっと歩こうよ、遠出しようよ、とねだるのに、この日はさっさとうちに帰るコースを素直に従った。
やっぱり辛いんだな。
5月7日にわかる。5月7日を待とうね。


獣医師に不信感をつのらせる前に、ひとつひとつ、ちゃんと言葉に出して解決しておけばよかった。
いつも通う町のクリニックばかりでなく、高度医療を行う大規模な動物病院とその特性、連休や夜間などにも緊急時に対処してくれる救急病院などについて、普段から情報を集めておくべきだった。


トリー闘病6 〜兆し〜

連休の始まり、今日はうーんと長いお散歩行こうねって思ってた。
朝起きて、一緒に1階のベッドルームから2階のリビングにあがって、トリーは朝イチのおしっこのために、早速サークル内にハウスして...あれ?トイレと反対方向の自分のバリケンにシャーシャー大量のおしっこしてる!
我慢させる場面があまりに重なると、違うところにトイレしたり、思いがけないイタズラをしたりすることがときどきあったから、それかと思った。
大声で叱らなくても、私が不機嫌な雰囲気を醸し出すだけで、トリーはすぐにゴメンナサイをした。
しょぼんとして、反省してるんですとオスワリしたのを見て、おもむろに私が、
「うん、よろしい。いい子だね」
と許して、トリーはちょっとテンションあがって、わーいわーいって駆け足して、それでまた私に叱られて、しょうがないなあって笑って... というのがいつものパターンだった。
でも、この日は、悲しい目をして、一生懸命オスワリをしようとするのだが下半身が中腰のままブルブル震えて、それでも必死にオスワリして、なんというか...異様だった。

「いいよ、いいよ」
トリーのオスワリを解いて、バリケンを持ち上げながら、おしっこの水たまりを何度も拭きながら、なんだかイヤな気持ちだった。
それでも、いつもの朝ごはんがフードボウルに入るカラカラいう音を聞くと、リビングをぐるぐる走り回ってバリケンに飛び込んで、元気いっぱいガツガツと食事している姿を見ると、不吉な雲が晴れてゆくようだった。

朝食のあと散歩に出かけた。
うんと遠出してたっぷり歩こう。カモや鯉を見ながら川沿いを歩いて、神社でお参りして、公園で豚耳食べて、お寺でお参りして、元気があったら2つ先の駅のたい焼き屋さんまで足をのばしてもいいよね。
頭の中でウキウキと今日のコースを組み立てる。これが最後の"いつもの散歩"だなんて、思ってもみなかった。

途中、高速の高架下で、歩きたくないんですって立ち止まった。
右に行くと、いつもよく行く森コースだから、そっちに行きたいのかと思って、
「今日は違うよ。長いお散歩だよ」
と促したが、じっと動かない。抱きしめて、お腹や首を撫でてやると、納得したようでまた歩き出した。
坂をあがって、踏切を渡って、また坂を下りて...このとき、めちゃくちゃ無理して、がんばって歩いてたんだろうね。
今日も猫がいるかな?なんて言いながら、猫の集会所になっている田んぼの道を歩いて、うんこして、そうしたら、また、もう帰りましょうって立ち止まった。
「どうしたの?今日は長いお散歩なんだよ」
促しながらトリーを見ると、悲しい顔をしている。なんだか後肢の運びがおかしい。ゴールデンウィークの初日で、明るい春の日差しの中のトリー、違和感、おかしい、どうしちゃったの?
恩田川のフェンスに針金でつった簡易ベンチで、豚耳を食べて、遠出はやめて引き返すことにした。
それでも、帰り道にハーブ園に寄って、バラはあまり咲いていなかったけれどハーブを見て、ベンチに座る私の横でご機嫌でオスワリしてたね。
信号で止まった車に乗ったご婦人が、トリーを見て車の窓を開け、手をのばして呼んでくれたね。近づいていったら頭を撫でてくれたね。

この日は私のめまいの症状が強く出ていたようで、ぐるんぐるん回ってるって、友達へのメールに書いてる。
それでも、同僚の方から連絡をいただいて、スケジュールを作ったり、テキスト選定したり、昼から夜までメールのやりとりしてる。
それをしながら、トリーの後肢のこと、必死にネットで検索してた。
いつもの腰痛(かかりつけの動物病院からは、リウマチを疑われていた)とは違う症状だった。この時点では神経とか、関節とかを疑ってた。「ウォブラー症候群」が頭にひっかかっていた。
「ドーベルマン」「歩行困難」...そんなキーワードで検索していくと、トリーを迎える前にいつも読んでいたドーベルマンブログに久しぶりに再会することとなった。みんな、みんな、亡くなってる。早いんだなあ。
飼い主さん達が書き残してくださったそれらの記事を読んでいくと、今回のは、今までみたいに、ケロッと元気になる種類のものじゃなくて、これから悪化してゆくんじゃないだろうか、一度ちゃんと検査して、体力のある今のうちに手術をしておいたほうがいいんじゃないかと思った。
これからは、長距離を歩かせたりはやめよう。
歳をとると、いろいろ出てくるものだよね。大丈夫、きっと大丈夫。ちゃんと診てもらおうね。