空につながるための家

花粉飛散中のお花見


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春だ!桜だ!と浮き立つ気分を抑えて、早く花よ散れ、と念じているものの。。
花粉症なので、飛散量の多い年はGW明け、少ない年は桜が散る頃まで、外出時にはマスクに帽子にロングコートの完全防備(怪しい人の出来上がり)なので。
それでも社宅の敷地内の桜がほころび始め、今朝は花粉が付着するのも忘れてしばしお花見。
私と同じく何百万人の花粉症の人たちが、ティッシュの花を盛大に咲かせながら、早く季節よ変われーっと念じながら、それでもしばし、春を楽しんでいるものだろうか。
来年もまた見られますように。

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と、帰宅してびっくり!
菜の花が咲いている!!
新聞紙に包んで冷蔵庫に入れ、長いことチマチマと料理に使っていた小松菜の残った根っこの部分だけ湯のみに挿しておいたらまたニョキニョキ生えてきたのが先月(下画像)、毎日飼っている鳥に与え続けていたのだが、先週位から蕾をつけ始めて今朝開花。
これだけ虐げられてもちゃんと花を咲かせるってすごい。
健気だ。
春は、お篭りして暮らしていても、植物の生命力の逞しさと勢いに驚かされます。

私もがんばらなくちゃ。。。

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# by soraie | 2006-03-28 15:02 |

老猫を捨てた

どういう状況下で老犬を捨てるんだろうと考えているうちに思い出した!
祖母の生前、父の運転する車でお出かけしたことがあって、山に差し掛かったとき急に泣き出し、衝撃の告白、

「昔飼っていた猫をこのあたりに捨ててきた」

母が子供の頃飼っていた猫がとてもかわいくよく懐いていて、長年かわいがっていたのだが、ある御近所とのトラブルが絶えず、思い余って山に捨ててきたという。
その猫、びっくりしただろうな。怖かっただろうな。信じられなかっただろうな。子猫の頃から飼われてきていきなり食べ物どころか水もない場所に放り出されて。

祖母が他界して何年も経ったあとで、母にその話をしたところ、
「えええっ!!確かに急にいなくなった猫がいたっ!」
と衝撃を受けていたようだが、気を取り直して、その告白の矛盾点をついてきた。
車どころか自転車にも乗れない祖母が一人でそんな山の中まで行けるはずがない。
祖母は晩年認知症に罹る前から天然というか呆けた人だったので、なんかまた勘違いして変なこと言い出したに違いないというのだ。
今となっては確かめる術もなく。。。

その猫、母のことが大好きで、いつも学校に行くときには途中まで見送りし、下校すると塀の上で出迎えてくれたのだそうだ。

10年に一度位、猫に惚れられる?ことがある。
おいでって言わなくてもどこまでもどこまでもついてきて、さわって!なでて!soraieさんちの子にして!とばかりにかわいい声といたいけな視線で一生懸命全力アピールするのだ。
これまでは賃貸住宅だったり社宅だったりして、心を鬼にして走って逃げていたが、新居ができたら絶対連れ帰ってしまうと思う。
無垢のフローリングや革張りのソファ、畳、塗り壁...ああ、爪とぎが楽しそう。
# by soraie | 2006-03-27 10:18 | 生き物

またも障害

酔いどれ先生の奥様からお電話をいただいた。
お送りしていたお花のお礼と、営業...かな。
ある程度前から覚悟していらっしゃったのか、必死に気丈にふるまっていらっしゃるのか、悲しみにくれて、という風でもなく、「酔いどれが他界しても何の支障もありませんから、ぜひうちで建てて下さい」という主旨のお話だったようで。
酔いどれがいなくなって違うことといえば、建主さんと楽しいお話ができないことくらいです、って。酔いどれ先生は漫才師かなにかだったみたいだ。
酔いどれ先生の仕事ぶりは御自宅を拝見してすでに「体験」している、でも、若干30歳とはいえ、一番酔いどれ先生の仕事を理解しているCさんにお願いするとしたら、Cさんらしさとはなんなのだろう、住宅でなく携わっている映画制作にしても、公共建築にしても、それを見ておきたいのだが、と伝えると、

「見たい?......見られるものは....ゴニョゴニョ」

あれれ?なんか声が小さくなってゆく。
一本立ちして設計した仕事はまだなく、映画制作も自主映画なのでどこかに行って観られるというものでもないらしい。酔いどれ先生らしさは全て受け継いでいる、Cさんらしさが出てくるのはこれからだ、とのこと。
こわいが、Cさんにお願いしようという気持ちに私の心は傾いている。
コミュニケーション能力と実務能力に秀でていることはわかっている。
酔いどれ先生に心酔して建築の道に入ったくらいだから、生活より奇抜なデザイン重視の妙ちくりんな家にならないことは確かだろう。
酔いどれ先生もCさんの歳には独立している。
どこに頼んでもどうなるかわからない、大手ハウスメーカーに頼んでも、懇意にしている工務店があっても、こればっかりは博打のようなものじゃないかと。

と考えていたら昨晩夫ががっくりして帰ってきた。
先日の健診の結果が思わしくなく、というよりことごとくひっかかり、少なくとも4つの精密検査が必要なのだそうで。
「ああ、僕はガンだ。家づくりはストップだ」
健診に引っかかるたびに自分はガンだと言い、いつか私に乳癌の疑いが出たときには、ひざまずいて頭を抱え、
「ああ、僕の人生はもうだめだ。せっかく結婚できたのに」
と、もう私が死んだかのように嘆いてみせた人なので、今回も大丈夫だとは思うけれど。

二人で楽しく長く生きてゆく決意のための家づくり、まずは夫の健康から、ですね。
ふう、山あり谷あり。

どうして老犬が?

犬を飼うことが、郷里を離れて一人暮らしを始めて以来の私の夢です。
日本犬も洋犬も、大型犬も小型犬も、純血種もいわゆる雑種も犬は大概かわいい、でも、犬を迎えるときにはペットショップではなくて、その犬種を心から愛し、無理な繁殖をさせない良心的なブリーダーか、愛護団体から、と思っています。

それで、土地が見つからなかったり、今回のように計画が中断したりしてがっかりしたときは、犬の里親募集のHPをのぞいて、自分を鼓舞しています(苦笑)。

そうしたHPを見ていて不思議でたまらないのが、どうして老犬が愛護センターに持ち込まれるのかということ。
けしからん!かわいそうという以前に、どうしても理解できない。
仔犬の場合、飼い主が管理を怠ったために沢山産まれて収拾つかなくなったとか、ぬいぐるみのようにかわいくて衝動買いしたら鳴くわ糞はするわ、ぬいぐるみじゃなかったと気づいたとか、なんとなく想像がつく。
若犬も、小さなうちはかわいかったけれど、躾もされずにいたずら盛りになって手に負えなくなったとか。
でも、なぜ老犬??その犬の性質が飼い主に合わなかったとか、そもそも犬を飼うことがその飼い主には合わなかったとか、どうしても躾けられなかったとかいうにはあまりに一緒にいる時間が長い。ヒトだっていい加減な性格のヤツでも5年10年付き合えば情がわくし、一緒にいることが普通になってくるもの、ましてや基本的に同等な対ヒトと違い、ペットは人間社会に組み込んでこちらの都合で一緒に生活させている時点で、こちらに決定的な「弱み」があると思うのですが。
病気や事故や失業などの思わぬ不幸で飼い主の人生が変わり、手放さざるを得なくなることはあるでしょうが、そうした思いがけないハプニングが起こる確率以上に里親募集で見かける老犬の頭数が圧倒的に多い。

10年飼ってみましたが、やっぱり犬嫌いでした...とか?
嫌がらせに憎い人物の飼い犬を拉致して遠方に捨ててきた...とか?

うーん、状況が想像できない。
# by soraie | 2006-03-22 15:04 | 生き物

シャボン玉とんだ

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昨日はずっと頭の中を「ねこふんじゃった」がガンガンと流れ、それをBGMに
どうしようどうしようどうしようどうしよう.....

という言葉が渦巻いていましたが、今朝目覚めて、お布団の中で、
「どうしよう、じゃないんだ」
と気づきました。

その家に住みたかった酔いどれ先生はもう灰になってこの世に存在しないんだ。
だからもうどうしようもないんだ。

思い描いていた夢の家はもう出来上がることはないんだ。
違う夢を最初から作ることはできても、昨日まで抱いていた夢はもう壊れて取り戻すことはできないんだ。
布団から起き上がり、新しい一日を重ねることがおっくうで、30分くらいじっとしていました。

昨日は「ねこふんじゃった」だったBGMが今朝から「シャボン玉とんだ」、ガンガン頭の中でエンドレスに流れています。

夕べ夫と話し合ったのですが、まず酔いどれ先生亡き後の事務所の方針が定まるまで(これまでどおりやってゆくとは聞きましたが、ひと段落ついたらまた変わってくるかもしれないと言うのです)様子をみようということになりました。

もし若いCさん達が先生の遺志を継いで事務所の代表になりやってゆくことになり、引き続き依頼することになったとしても、それは酔いどれ先生の家ではなく、酔いどれ先生の作風を受け継ぎながらも別の建築士であるCさん達から生まれる新しいもの、全く別の家だということを理解しなければ。

明日は予約していた銀行の説明会、家のプランが白紙になった今、お金を貸してもらっても...

空を見上げると鯨みたいな雲が強風に煽られてぐんぐん空を飛んでいる。
急いでデジカメを向けると今度は中華皿の龍みたいになって泳いでる。
なんだかちょっと元気が出てきました。

訃報

先ほど設計事務所のCさんから酔いどれ先生訃報を知らせる電話がありました。

......

酔いどれ先生が灰になり旅立っていかれたまさにそのときに、私達はああしてくれ、こうしてくれと新居の希望をどっさり送っていたわけで...恥ずかしい。
あんまりびっくりして、ちゃんとお悔やみの言葉が言えなかった。訥々として何をしゃべったんだか...情けない。

仕事中の夫に電話を終えてから、香典は?私達の家は?とちょっとパニックになってから、昨夏お会いしたときの様子が思い出されて、涙が出てきました。

グリグリギョロギョロと目を輝かせてお酒を飲んでいる酔いどれ先生の横で見守るように寄り添っていらっしゃった奥様、この酒にはあっちのグラスだと奥様を急き立てて、満足そうにお気に入りのグラスにシェリー酒をついでいたっけ。公園の木漏れ日から夏のまぶしい日差しがテーブルの上に注いで、グラスの中のシェリー酒がとても美しくみえて、なるほどと思ったっけ。
生涯現役、すごいと思うと同時に、それをさせた奥様はすごい。
でもお辛いだろうなあ。

入退院を繰り返されているとお聞きしたとき、竣工が遅れても体調回復に専念されてはと提案したのですが、仕事をすることこそが励みになっているのだときっぱり答えられたのが先週、あのときはもうかなりお悪かったはずで...。

実務を行っていたのは元々Cさん達スタッフで、事務所はこのまま継続、工務店も30年来の付き合い、だからsoraieさん宅のことは御心配なくとのことですが。

実は実際に窓口になって動いてくださっているのがCさんでよかったとずっと思っていました。
若くはつらつとしていて頭の回転が速くて、酔いどれ先生の作品を多分誰よりも理解しながらも実務面では芸術家というより「やり手のビジネスウーマン」。
こんな風にお別れするとは思っていなかったにしろ、60代の酔いどれ先生がいずれ引退したとき、あるいは突然山の中に事務所を移すとか、船上生活を始めるとか、そういうもっと楽しいことで旅立っていかれた何十年か後には、Cさんに増改築をお願いするのかな、と想像していました(!まだ家が建ってもいないうちから)。
でも....どうなるんだろう。
夫が帰宅したらゆっくり今後について話し合うつもりですが、そもそも短い電話のやりとりでは材料が少なすぎて。
酔いどれ先生に設計してもらった家で仲良く末永く暮らす夫と私

しか考えていなかったので、もうなにがなんだか。。。

夫婦の距離

f0064818_17471032.jpg昨夜夫が注文した花が届きました。
すごくうれしい。
ガーベラとスイートピー中心で高価なものではないけれど。
インターネットで注文して近所のスーパーに出店してるおしゃれじゃないお花屋さんから届いたものだけど。
バラとチューリップの区別もつかない人が、花なんてどうやって贈るのか知らない人が、よくもまあ、がんばったものだと思うと、すごく有り難く貴重に思われます。

私達の趣味嗜好や家での過ごし方、新居への希望を表にしてCさんに送信しました。
わかっていたことではあるけれど、こうやって目の当たりにすると、よくこれだけ違う人間がこれまで一緒にいたものだとあきれました。
夫も、別々に住めって言われそうだよな、と嘆息していました。

夫:閉じた空間が好き
私:開いた空間が好き

夫:無音の暗闇でないと眠れない
私:外の気配がないと眠れない

夫:蛍光灯好き
私:白熱灯好き

夫:ものをためこむことが好き
私:ものを使い切ることが好き

夫:新居では外部の音をシャットアウトした静かな環境で趣味に没頭したい
私:屋外でも屋内でもある空間を活用したい。それぞれが趣味に打ち込みながら一緒に過ごす時間も楽しみたい

ことごとく...

でも、特殊なプランでなくとも、閉じた部分も開いた部分もある当たり前の普通の家の中で、それぞれが心地よい場所を確保し、住んでいるうちに段々と自分達だけの家になっていけばいいんじゃないかと思っています。
その取り分確保に血で血を洗う争いが待っていそうな気もするけれど。。

昨日のように折々に小さな花束でも贈ってくれて、ピンチのときに助け合えれば、別々の部屋で別々のことして笑っていたっていいじゃないかと思う一方で、これまでかろうじてやってこれたのは、顔を合わさざるを得ない住宅事情によるものが大きかったからかもとも。でも随分お互いイライラして我慢してる。

心地よい夫婦の距離のとり方はプランニングでなく自分達の心ひとつなのかも。
無線部屋に閉じこもって機械とだけ向き合っていたくなるような家庭にならないよう、これからも、花くらい贈っておくか、と思ってもらえるような夫婦でいたいなあ。

暮らしぶりを表にするのは難しい...

前回の初打ち合わせで設計事務所のCさんの質問に答える形で、家に対する要望をお伝えしたのですが、あまりに簡単というか散文的というか、あれでよかったのだろうか...私達が家で普段何をして過ごしているのか、どういう環境が心地よく感じられ、新しい家に何を望んでいるのか、表にして提出しようと思ったのですが。。。。難しいっ!!

いえ、酔いどれ先生の作風はまさに私の望むものなので(夫はデザインやスタイルには全く興味ない)、細かいリクエストをあげるつもりも、こちらの美的価値観をくどくど説明するつもりもないのです。
また、自分達が住む家ですから、かっこつけようとも、急に生活態度を改めて今と違う暮らし方ができようとも思っていないのですが。

自分の暮らし方がわからない!私、いつもなにやってるんだろう??1日24時間もあるのに。宇宙人にさらわれて記憶を消されてでもしてるんだろうか。
夫はその点明快、平日はずっと仕事、休日はずっと趣味。

あと、一つ屋根の下でも一緒に過ごしたい部分と、お互い干渉せずに別々に過ごしたい部分があるのですが、一緒に過ごす時の環境や、別々の時の距離の置き方が難しい。
というのは今になって夫と私の心地よい環境が全く違っていることに思い当たったからです。

夫:無音で外部から完全に遮断された「閉じた空間」
私:生活音や光が外部から感じられる「開いた空間」

ああ、そうなんだ。道理でお互い今までイライラしてたわけだ。
私は自分の個室が要らないので、キッチンとリビングで過ごす時間が多いと思うのですが、夫は私に会いたいときだけ趣味の無線部屋から出てくることになるんだろうか。平安時代の通い婚みたい。なんだかなあ。
この違いを設計でどう解決してくれるのかを期待する前に、私達がどのくらいの距離で暮らすのが一番心地よいのか、はっきりさせておかなくちゃ。

そんなわけで一枚の表ができず一週間悩んでいます。

生えてきた!

f0064818_13414382.jpgといっても増毛法ではなく新芽。
昨春に取り寄せたバラの苗、晩秋に最後の花を終えて初めての剪定を行いました。
「誰でもわかる初めてのバラ作り入門」的な本を読み漁ってはみたものの、どこでどう切ってよいのかわからない。本のとおりにガンガン切り詰めてしまうのが恐ろしく、結局中途半端になってしまいました。
その後他所のお宅のバラの鉢をみるとかなり強く剪定してあり、ああ、失敗した、でも本に書いてあるような「虐待」をしてちゃんと芽がでるんだろうか、と悶々としていました。

いやあ、ちゃんと芽吹くものなんですね。
グラハム・トーマス、アイスバーグ、アンドレ・ル・ノートル、クイーンズマザー、ミニバラのヘナもみんな立派に新芽をつけてモシャモシャッと葉っぱを出し始めました。
同じ時期に適当に刈り込んだヒメウツギもちゃんと生きてました。
こんなことしてたら樹形がどんどんおかしくなるんだろうな、と将来に一抹の不安を感じながらも、とりあえず今年の春は一安心。
今は五階のベランダの厳しい環境だけれど、来年の今頃は新居、日光がいっぱいあたるところに地植えにしてやるから、元気でグングン育ってくれよ、と念じます。

新居では60坪の土地に30坪の家が立つ予定、設計事務所のCさんのお話だと周りに緑がほとんどない環境のため、いっぱい木を植えて景色を作ってゆきましょう、とのこと、自分でちゃんと管理できるだろうか...数年後には半分が枯れ、半分が変な育ち方になりそう。。
# by soraie | 2006-03-08 13:50 |

さゝま@神保町

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近くに用があったため、帰りに神田駿河台のさゝまに寄りました。
つい通り過ぎてしまいそうなほどそっけなく静かな外観、暖簾をくぐり、戸を引くと正面に古めかしいショーケース、横手に木の椅子、ほどなく奥から、江戸落語の名人みたいな風情の御主人が出ていらっしゃいます。
以前立ち寄ったときは確か初冬だったのですが、久しぶりに来てみたらショーケースの中の生菓子は淡い桃色と若葉の緑で、あかるいこと!あたたかいこと!かわいらしいこと!一足先に春本番を迎えたようで、こちらの心もなんだかポカポカとしてきました。
桜餅、草餅、早蕨、菜種、稚児桜...見本に添えられた名札を読むと、ああ、春はもう本当に来ているんだと、一層うれしくなります。花粉症なのであまり本当はありがたくないのですが...それでも草花が芽吹き、明るく暖かくなるとDNAに刷り込まれた生物本能がうずく(?!)というのでしょうか、訳もなくうれしいものですね。
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欲しい品をつげるとお店の方は奥に行き、それから見事な手つきで包装してくれます。我が家は二人家族なのでいつも少量なのですが、それでも小さな箱にぴしっと包装紙を巻ききりっと紐でしばって風情よく演出してくれるのです。
これを帰宅してからほどくのがなんとも気持ちよく、なかから美しくもかわいらしいお菓子が覘くのがなんともうれしく、もちろんお味も非常においしく。。

ただ夫にはさゝまさんのお菓子は品がよすぎるみたい、もう少しずっしりしてどかっとして、むしゃむしゃ食べられるものがよいらしい。。確かに、こちらのお菓子は普段使いでないお茶葉で普段使いでない小ぶりのお湯飲みに注いだお茶と共に、居住まいを正していただくのがふさわしい気がします。
がさつな我が家には毎日いただくものではありませんが、たまにはちょこっと背筋を伸ばしていただくお茶もよいでしょう。
今度立ち寄るのはいつになるかな、新しい季節の訪れに心躍らせてくれる大事な場所です。