空につながるための家

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犬3歳に

今日で犬3歳に。

肉をいっぱい食わせてやろう。ケーキも作ってやろうと思ったのだが...
体がだるくて重くて。
日中雨が止んだので散歩に出たのだが、ムワァッとして、生ぬるい寒天の中を溺れながら歩いているようで(お散歩コースの一部が「きのこの森」になっていて、そこはちょっとおもしろかったが)。

何度もベンチで休みながら帰宅。
ああ、雨が止んでいるうちに庭のこともしなければならなかった。
マイマイガの幼虫が歩いていたし、ズッキーニにうどんこ病が出ていたし。
犬を家の中に残して庭に出たら、ガッタンゴットン家の中から大きな音が。
ん?と顔をあげたら、私の寝室の窓(家の中で一番庭がよく見える)から「ハヤクカエッテキテヨー」と興奮して暴れる犬と目が合った。
...頭がぼーっとして、侵入対策をとるのを忘れていた。

寝室、ベッドがゆがみ、シーツも布団カバーも枕カバーも泥足のあとがつき。また洗濯。もう果てた。。

3歳になったのに、大人になったわねーと褒めていただくことも多くなったのに、いつまでも仔犬みたいで本当に...かわいい(泣)

いつも一緒にいてくれてありがとう。
ずっとずっと、一日でも長くずっと一緒にいられますように。

週末に食べたもの

土曜日、賀茂ナスを収穫して、
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タイカレーに。
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日曜日は、OKストアで安売りしてたステーキ肉を焼いた。
今アメリカでおいしいものばかり堪能している友人に触発されて、ポテトだけはアイダホ産(汗)
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蒸し暑いなあ。。

希望

今朝は大失敗を。
ぐっすり寝ていたら、奇妙な犬の遠吠え(ボワアアアーオン)で目が覚めた。
どうしたの?と寝ぼけながら二階に上がっていったら、携帯が鳴っている。訓練士の先生からだ。
...7時から犬の訓練だった
ゲッ既に7時5分。

ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいと、ボサボサ頭のパジャマ姿で表に出て、同じく目やにをつけた起きぬけの犬を預けて、また家の中に飛び込んで。
それが...見事にコントみたいなヨレヨレの縞のパジャマで...ああ、恥ずかしい。情けない。

昨日、遅くに帰宅した夫に合わせて、知らない間に夜更かしして、そのまま体内時計がズレてしまっていたらしい。




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ナツツバキって、ビロビロして、色っぽすぎて、なんか苦手だったのだが、


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咲き始めはこんなに美しいのか。
オシベとメシベの見せ方、やっぱ、大事だよな。。


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スジグロシロチョウかな?


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庭の隅の、エアコン室外機の前に、こぼれ種から発芽したエイザンスミレらしき草を発見。
そおっと掘り起こし、栄養たっぷりの培養土の上に植え替えた。
大好きなエイザンスミレ、結局枯らしてしまい、採取した種からも芽が出ず、あきらめていたのだが。
裂状葉のスミレはエイザンしかうちにはないのだけれど...でも、裂け方が浅すぎる。ヤブガラシだったりして。
ワッツの「希望」みたいな気分。
どうかエイザンでありますように。たった一株が元気に育ちますように。
by soraie | 2010-06-26 09:48 |

初収穫

ナスが大きくなったので、夕方庭に出て、
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夕飯に食べた。
特に、「もうお店で売ってるものなんて食べられない!」ということもなく、普通においしかった。
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サントリーの苗、丈夫でぐんぐん成長して、すばらしい。
by soraie | 2010-06-22 22:30 |

鶴見駅前オープンカフェ アコースティックライブ

Sugar Saltのカバーするオリジナルラヴの「接吻」が非常によいと聞き、キスの歌、キスの歌、とずっと思い続けていた。
鶴見駅のライブはアコースティックだから、きっと聴けるに違いない。
一歩一歩、歩を進めるたびに、キス、キス、キスと念じながら、ホントに、今交通事故に遭ったら、死んでも死に切れないよなーと思いつつ、会場に到着。

会場は鶴見駅前の広場、プーンとドーナツの匂いが漂い、ステージの上には東急リバブルか何かの横断幕がかかり、椅子席にはお年寄りが座られ、ドバトやら通行人が横切り。
ユルい雰囲気の中、メンバーの方達もリラックスして、その場を楽しんでいらした。
ライブハウスでガンガンに聴く彼らもよいけれど、戸外のアコースティックも大人っぽくて、かっこよくて、すごくよい感じ。夜にお酒でも飲みながらじっくり聴いていたいような。
あんなにきれいでしっとりとして親密で、鶴見駅にいあわせた方達はなんて贅沢な思いをされたことだろう。

2ステージ目の一曲目で「接吻」が演奏されて、ぎゃーっと押し殺した悲鳴をあげてしまう。
オリジナルの歌をそうは知らないのだが、恋愛の絶頂の時期を歌った歌だよね、多分。
カワシマ氏が歌うと、何かその恋が全部終って俯瞰で最初から最後までを見ているようなやさしさに満ちていて。
というか、ひとつの恋ではなく、世の中の全ての人達が出会って別れて、生きて死んでゆくのを思いやりを持って、その生をいとおしんでいるようで。
人は皆、きれいな恋だけして、きれいなキスだけして、そうして死んでゆけたらよいのではないか。
平和な鶴見駅前で、一人ドボドボ涙が出てきてしまう。もう水道の蛇口をひねったかのようにダーダーと。
いかん、危ない人になっている、とは思うのだが止まらない。
直前に同行者からシャボン玉飛んだのような、ものすごく美しくも悲しい歌を聴かされて、かなり涙腺がゆるんでいたのもいけなかった。
ハンカチを使うと、バレると思い、うつむいてやりすごし、頬っぺたも乾いて、ああ、よかったですねー、と電車に乗り、

「すごく泣いてましたね」
...やっぱりバレていた。

カワシマ氏には世の中の全ての歌をカバーしてほしい。
全ての美しい言葉を、美しい音程を、発して届けてほしい。


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帰宅したら問題がいろいろと。。
夫と犬が仲違い。夫のスーツをクリーニング店に取りに行くのを忘れていた。
いかん。連日の外出で生活にひずみが出てきてしまっている。
気をつけなければ、と思いつつも、翌日も週末の余韻で、頭が半分どこかにいってしまい、いつもの生活が始まってもどこか現実感がなくて、雲の上にいるみたい。
...困る(泣)

ルーシー・リー展@国立新美術館

陶芸って、形、土や釉薬、焼成温度、様々な技法によってそれこそ無限大になんでもできる自由で難しい世界だとは思っていたけれど、ルーシー・リー、こんなにも幅広い作風とは!!
鎌倉の骨董屋さんや、青山の雑貨屋さんのウィンドウにあっても、ソウルの博物館にあっても、はたまたこれはキプロス島からの出土品だよ、と言われても、違和感なく、そうかー、と納得してしまう(でも、線やシルエットがどこかウィーン的だったりして)。
自由で難しい世界を、これでもかと研究して実験して、精一杯遊びつくした人なのだなあ。
嫉妬したり、自己嫌悪に陥ったりして立ち止まっている暇はない、作ることが楽しくて、手を動かす喜びに満ちていて、見ていてこちらまで本当に幸せを感じてしまう。
陶芸の世界って、精神とか~道とか言われ始めると、いやになってしまうのだけれど、そういうのが全くない。
会場はとても混雑していて、いろんな人の話が耳に入ってくるのだが、皆さん、口々に、
「かわいい」
「おしゃれ」
「ほしい」
を連発。わかるなあ。
品性の高い人って、親しみやすくてどんな人にでも好かれて、気さくないい人だよね、と思われたりするものな。

私も、「かわい」くて「ほしく」くて、どの作品を見ても、
「これにはピカピカの新米を入れて、真ん中に海苔」
「これには冷たいポタージュ、ウニとイタリアンパセリ」
「これには濃いコーヒー、ソーサーには赤い実をちょこんと置いて」
などと、使い方がどんどん浮かんできて楽しい!(不遜)

「かわいいけど、なんか...こわいよね」
うん。それもわかる。
薄かったり、高台が高かったりしてドキドキするよね。
それに、なんというか、不変でない、ゆらぎ、ゆれみたいなものが強く感じられて。
だから触ってみたくなるのだと思う。


一見幅広い作風だけど、全てに共通しているのは、そうしたゆらぎ、ギリギリの抑制、節度、中庸、使いたい、触りたいという欲望を喚起する美しさと親しみやすさ、創作する喜び...

だから、最後の展示室の年表で、88歳で倒れ、ほとんどの記憶を失い、制作が事実上不可能となった、の一文に心が痛んだ。
この老婦人の小さな脳にはどれだけ膨大で自由な世界が広がり、どれだけの知識や経験が積み重ねられていたことだろう。
それがとうとう失われてしまったのだ。


キャプションを読むのにも並ばなければいけないほど会場も混んでいたが、出口を出てミュージアムグッズ売り場までまた賑わっていること!
分かる!「欲しく」なるのよ。なにか買って帰らずにはいられないのよー。
「ルーシー・リーの生きざまがにおい立つ」と聞いた、復刊された三宅一生の方のカタログを購入。
雨音でも聞きながら、お茶を飲みながら、ゆっくり眺めるのが楽しみ。

『共鳴』Vol. 2.9@新横浜BELL'S

今夜はSugar Saltライブなんだよね。
仕事もあるし、夫もいるし、夜は犬のお散歩もあるし、絶対無理だろうなと思いながら一日を過ごし、晩御飯の後、衝動的に、
「これからちょっと外出していい?」
ウソみたい。台所で親子丼作ってたのに、ライブハウスにいるよ、私。


浜松のときのように、時間も忘れ、感動で言葉も出てこない、といった感じではなかったけれど、本当に楽しくて、楽しくて。
演奏はやや荒っぽかったけれど情熱に満ちていて、これまでやってきたこと、自分達の中に蓄積してきた全部を出し切るぞというような気迫があって、不思議にさわやかで、ステージと客席が感謝や幸福を交感するような、そんな体験だった。
私もケラケラ笑い通し。

中盤の「ゆれる」が本当によかった。
こんな「ゆれる」もあるのね。
痛々しいほどの決意表明、悲しみ、諦観...そんなものをこれまで感じてきたのだが、今回はMCの中で、いろいろあるけど、でも(せっかく生きてるから)いろいろあった方がいいよね、という意味のことを、親密な雰囲気のなか、客席に語りかけながら唐突にすっと歌の世界に入っていって...
鳥肌が立って泣きそうになってしまった。
生きていることへの感謝とか、世の中全部に対しての思いやりとかに満ちていて。
心を開き、感じるのは(=生きて行くのは)本当にしんどいけれど、それでも感じて生きてゆきたいよね、でも、ときに大変だよね、と心の底に語りかけてくるようで。
それでも生きて感じていることに心がゆれてしまう自分を受け入れ、喜びに変換してアウトプットされてゆく快感!


皆さんノリノリで、気持ちよさそうにパフォーマンスしていらっしゃるのが、うれしくて(もうどっぷりファンになってしまった)。
もっともっと広いステージの上を飛び回りたいだろうなあ。もっともっと沢山の人に聞いてもらいたいなあ。
演奏だけでなく、見せ方とか客のいじり方とか、ああやって、全て吸収して経験して、どんどん大きくなってゆく過程に立ち会えて、幸せだ。

ライブの後、会場で合流した方々とお茶をご一緒させていただいた。
同じ体験をした方と、よかったよねーと語り合える楽しさ!!
ベースの亮氏、演奏中、音楽に溶けてしまうかのような風情で、天才は違うわーと見ていたのだが、
「今日はすごくアイコンタクトをとってたね」
情熱や幸福感は溢れていたけれど、ややもすると、4人の演奏が2つにほどけてゆきそうな瞬間もあったらしい。
へ?私は漫然と聴いているだけで、気がつかなかった。
ああ、そういえば、浜松のときに感じた、ステージ中央からまっすぐこちらに向かってくる太い一本のうねりのようなものは今回なかった。

1回1回のステージ、全て違った体験ができて、これでわかった、ということがないから、はまらざるをえないなあ。

案ずるより

雨続きで数日振りに庭に出たら...
雑草もすごかったけど、植物の変化がすごかった。

心配していたコットンは新しい葉をつけているし、スミレはこぼれ種であちこちに繁茂しているし、サツマイモエリアにはなぜかトマトやジャガイモが生えてきてるし、トマトエリアなんかジャングルだし。

案ずるより何とやらなのね。。というか、なんともならないことはどうしようもないのね。。


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道にはみ出たアジサイを切って、


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ジュースの瓶に挿して思った。ちゃんとした花器で活けられる人になりたい!
by soraie | 2010-06-17 12:54 |

何もしない休日

今日はどこにもいかない。ずっと犬と過ごす休日。

あ!またソファカバー剥いてる(怒)
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ダメじゃん。コラッ


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変な顔


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歯、見せてごらん


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と、やりたい放題弄り倒し、洗濯をはじめればついてきて、


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洗濯物の上でもドサッとフセをし


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そこ、どいてくれる?


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トイレにまで乱入


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パソコン始めれば横でまたフセ



なんで、こんなにかわいい子がいつも私のそばにいてくれるんだろう。
...あ、ペットだからだ!

「能の雅 狂言の妙」展@サントリー美術館

無形文化の衣装や面を展示して、どこまでその世界に迫れるのだろうか。しかもこちらは能楽の知識がほとんどないのに。
(サントリー美術館会員だし)ちょこっと拝見して、勉強しとこう位のつもりで来館したのだが...
おもしろかった!!

会場内に入るとまず目に飛び込んでくる能装束がすごくよい。
色彩が美しいとか、古いものが貴重だとか、デザインが新鮮で斬新であるとか、そういうことをおいておいて、目が離せない。

能面、魂の抜けた生首が並んでいるようにもみえ、これまでいろんな人がつけて舞台に立ち、時代時代のいろんな人の悩みを映し感動に変えてきたのだなあと思うと、慈愛や悲しみに満ちているようにも思え。

段々と会場を歩くうち、その場を去りがたくなぜかずーっと見入ってしまう展示品と、ササッと去ることができるものがあることに気がついた。
どうも、私、18~19世紀になるとあまり惹かれないようだ。
でも、何が違うのかわからない。
美しさとか、豪華さとか、大胆さとか、どんな意匠を用いているかとか、特に時代によっての優劣や差は私の目では見分けられないのに。
新しいものほど保存状態もよいはずなのに。
時代の空気のようなもの??

白地藤色紙模様肩裾縫箔、オリジナルの衣が傷んでしまったのでパッチワーク的に肩と裾だけにその刺繍部分をあてたものなのだそうだ。
その刺繍模様部分がまた「色紙に描かれた花」が花模様に重なるというもので、花の刺繍→色紙に描かれた花の刺繍→それをさらにパッチワーク...
ほら、古代ローマの壁画で、だまし絵的に(?)景色の広がる開かれた窓が描かれたりする、あれだけでも私の頭はこんがらがってしまうのに、一体虚構が何重になっているのだろうと、頭がクラクラしてしまって。
パッチワーク部分の縁の刺繍が緩まっていて、そんなに精緻なテクニックを駆使しているというわけではないかもしれない。
でも...見飽きない。
同じようになんだか分からないのにそこから去ることができないでいる知らない方と、不思議ですねー、と言葉を交わす。

来月展示がえもあるので、またぜひ行かなくては。


ルーシー・リーは混みすぎてて...見たやら見てないやら。次回リベンジ。