空につながるための家

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早くも遅れ

たった今設計事務所からメールがきた!!

いよいよ6月から設計を開始します。5月に規模の異なる住宅設計をしたのでスケール感をとりもどすため6月半ばからとりかかるつもりです...みたいなことがあっさりと書かれている。

え?
GW明けから着手し、5月中に基本設計があがると聞いていたのに。
けしからん!とか、不安だ、とかジタバタしたところで、他に頼むつもりもないので仕方ないのだけど。
まあ、今の家を出て行かなければならない期限もなし、チャッチャとやっつけ仕事でやられるより、じっくり取り掛かっていただいたほうが、こちらも楽しみが延びてよいのだろうが。

家を建てるってこんなものなのだろうか。
こんな感じで、地盤調査に3ヶ月とか、実施設計に半年とか、竣工に1年とか、締め切りはないかのように遅れながら、ゆるーく進んでゆくものなんだろうか?

支払いのほうも、ゆるーく遅れながら済ませられればよいのだが(笑)。
金利がどうの、木材の価格がどうの、といろいろ耳に入るたびに、急がないと損するんじゃないかとドキドキ。

車、車、車...

最近車のことばかり考えている。
もともと詳しくない分野なのだが、この頃では運転していても街を歩いていても、気になって!
素敵な車を見かけるとなんていう名前だろうとチェックし、新居に駐車された車、海岸や新緑の山をドライブする自分を妄想してはうっとり。。

助手席専用の夫は買い換える気はないらしいが、現在の愛車はあいかわらず不具合続きで、運転するこちらとしてはいつも不安がつきまとう。
H社のサービスの程度の低さにも愛想がつきている(あの販売店に限ったことなのだろうか)。
もうじき家のローン返済が始まるし、独身時代の貯金も家にはたくつもりなので、今を逃したら買えないのでは、という焦りが私の車熱に拍車をかける。

現在のコンパクトカーは、何度修理に出しても直らない走り関係の不具合を除いてはなんの不満もない(ってそれがすでに決定的なのだが)。
時代遅れなのだろうが、外観デザインは決して悪くないと思う。
高速や山道でパワー不足を感じたこともないし、細い路地もスイスイ通る。
なにより、一緒にいろんなところに行った思い出が詰まっている。
だから、今度の車も現在の愛車のようなタイプで、たとえ壊れてもちゃんと直してくれるところのものがいいなあ。
もともと我が家にワゴンやセダンは必要なく、今の大きさで十分と思ってはいるものの、大型犬を飼う予定なので、もうほんの少し大きくてもいいな。
外観が妙に奇抜だったり、内装が変に豪華だったりするのはいやだ。
サンリオキャラみたいにかわいいもの、70年代の子供用ペンケースみたいにやたらと小物入れや仕掛けがついているのもイヤ。
サイドモニターとかカードキーとかの便利機能もイヤ。自分の能力が益々衰えそう。
ごく普通のまっとうなのがいい。

車関係の仕事をしている知人が、トヨタのすごさは抜きん出ていると言っていた。さすが世界のトヨタ!早速チェックしてみるが、ぱっと見てどれも好きになれない。あのデザイン、安全とか空気抵抗とかいろいろ理由があってのことなんだろうけれど...ダメだ。
友人から日産のティーダをすすめられる。
うーん、あの「上質」ぐあいが...。コンパクトなのにてんこ盛りなのがちょっと...もっとカジュアルな感じでいいんだけど。
いっそ、VWゴルフはどうだろう。すっきりと普通で、10年後でも飽きることがなさそう。
でも購入価格が高いうえに維持費もかかりそう。なんで日本の主要輸出品である車を買うのにわざわざドイツのを買うんだという気も。
マツダのベリーサ、どうなんだろう。

と、運転中も将来の車のことばかり考えている私、彼女を連れながら他所の女性ばかりみているダメ男みたいだ。ごめんよ(泣)。
by soraie | 2006-05-30 18:45 | モノ

リゴレッティーノ@経堂

f0064818_13414294.jpg「住宅街のなかにポツンとあるイタリアン・レストラン、だけど味は一流、デザートまですばらしい!」

そんなウワサを聞きつけはりきってでかけたレストラン リゴレッティーノ

うわっ!本当に庶民的な町並みにいきなりポツンとあった。
期待に胸膨らませて扉を開けると、若い男性の給仕の方が出迎えてくれる。なんか...ジャニーズ風というかホスト風というか、前髪が顎まで垂れて、白いシャツの襟が立ってる。。ランチなのに夜の雰囲気?
経堂の住宅街のイタリアンと聞いていたので勝手に家庭的な感じを想像していたのだが、店内はなんというか、「日産モダンリビング」という感じ。ひんやりとした寒色系で洗練さが勝っている。
先ほどのお兄さんはカチャカチャ音をさせながら給仕しているし、のぞき穴の向こうの厨房ではオーナーシェフらしき方が鋭い目つきでこちらに眼をとばしているし、大丈夫だろうか?と不安になるが、若い料理人の方がすかさず注文をとりにきてくれたところを見ると、「眼をとばし」ていたのではなく、料理しながらも客席に気を配り、随時指示を出しているらしい。

f0064818_1454461.jpgまもなく運ばれてきた自家製パンを一口食べてこちらの不安は吹き飛んだ。
外はパリッと中はもっちりとして、トマトパンの方はギュッとトマトの味が詰まって、タマネギパンの方はタマネギの甘さが詰まっている。
こごみの天ぷらをイタリア風にアレンジした前菜、おいしい!普通だったらアスパラのフリットとかになるんだろうなあ。日本の素材を使っているのに奇をてらった風もなく破綻もなく。
伏見唐辛子とキノコのスパゲティ、伏見唐辛子の甘味と、油をすって旨味を増したキノコがスパゲティを御馳走に引き立てている。細切りのベーコンもいいお出汁になっている。
メインの鯛、デコポンのデザートまで、本当においしく破綻なく美しく、洗練されていて、感動。

店内を見回すと、平日なのに賑わっている。先ほどの「イケメン」給仕の方が、ドレスアップをしたカップルのテーブル、オーナーシェフの知り合いらしきテーブル、近所の方らしきジャージ姿の中年女性を含むテーブルにも、正しい日本語で丁寧にサービスをしている(見かけで不安を感じてしまってごめんなさい)。



ただ....単に私が大食いなのか、量も御馳走のうちという夫に感化されたのか...あの量なら食べろと言われたら3人前でも食べる自信がある。
パンなんか丸まったジャンガリアンハムスターくらいの小ささだし(おかわりもない)、スパゲティも30gくらいじゃなかったろうか。メインなのに鯛は二口でいけそうな大きさだった。
小さなポーションで繊細にゆくところはそうしてほしいのだが、私のような腹を減らした庶民にはドカッとゆくところも見せてほしかったかな。
ああ、ワイン好きの人達にはあの位がよいかもしれないが、私は下戸なので、飯!飯!という感じになってしまうのだ。

前菜、パスタ、デザート、コーヒーのコースが1600円、メインもついた5コースが2500円、非凡で決して自分では料理できないものばかりいただけ特別なお昼時間を体験できてこのお値段、お得といえる。
あの量、夫とは絶対行けないが(汗)。
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鬱..ポンペイの輝き展@Bunkamura

f0064818_9585462.jpg美術館展示でどうやって都市の紹介をするのか?と疑問を抱きながら入場、地図や家屋の復元図を随所に配置して、なんとなーくだがヴァーチャルに街を歩いているかのような展示方法、なるほど。

古代ローマの生活水準の高さをうかがわせる数々の日常品、遺体が所持していた宝飾品や貨幣、家の鍵....段々展示物そのものに飽きてくるにしたがって、こちらの気分も落ち込んでくる。
絶望的な状況で最後に身につけていた指輪やネックレスはとても高価で大事なものだったに違いないし、大切な人から贈られた思い入れのあるものだったかもしれない。
お金も、その地に根を下ろして築いてきたものを全て捨てていかなくてはならない中で、とりあえず我が身や家族を守ってくれる頼みの綱だったはずだ。
神の小像を持っていた人は、恐怖の中でそれを握り締めながら本当に必死に祈っていたに違いない。
折り重なって倒れた母娘、父親を先頭に、子供二人を挟んでしんがりを母親が歩いた避難中の一家....財産も信仰も家族の愛も、死から彼らを守ってくれなかったんだ。
見れば見るほど気持ちが暗くなる(泣)。

日常品には親近感を覚えるのだが、壁画を見ると古代の人たちが私達とかけ離れていたことを思い知らされるような気持ちになる。
だまし絵的な手法はまだ感覚的に理解できるのだが、脈絡もなく(と私には思える)登場する枠の中の絵、古典を知らないとなんだかわからない物語画、慣れ親しんだ遠近法とは違う建物や風景の描かれ方も見ていてなんだか居心地が悪い。

素朴な居酒屋の壁絵が妙におもしろかった。ヘタウマ?な筆致でキスしたりケンカしたり。
あーあ、悩んでもお金ためても結局死ぬときは死ぬんだから、せいぜい今を楽しんで生きなければ。

郷里との300km

両親の住む郷里から現在住んでいる都内の我が家まで300km、混んでいなければ高速を使い3時間ちょっとの距離、これが丁度いいという気がする。

親も歳をとって気が弱くなったのか、いつでも帰省から戻るときにはさびしそうにして手を振り見送るので、こちらもしばらくはしんみりと親との会話や子供時代の思い出を頭に浮かべながら車を走らせる。
段々と景色が移り、郷里が遠くなってくると音楽でも聴きながらいこうか、という気持ちになり、都市部に入り、街の明かりがきらびやかになってくるとキリリと気持ちがひきしまって、よおしっ!がんばるぞ!と気合が入る。

狭い日本の中でたった300kmの距離でも、郷里と東京では生活が全く違う。価値観とか常識とか、その集団の中で私に期待されているものとか。
ジギルとハイドではないにしても、親に見せる顔を夫に見せたり、郷里の空気をまとったままこちらで暮らすとなんとなくギクシャクしてうまくゆかないのだ。

この移動時間が5時間を越えるとちょっとキツい。1~2時間では気持ちを切り替える間がない。

ただ、将来介護が始まるとこの距離はどうなるのかな、運転しながら私はどんなことを考えるようになるんだろう。

駄犬メリー

母親の愛犬メリー@午睡中。

f0064818_124693.jpg母親の恐ろしいまでの愛情を注ぎ込まれ続けた結果、肥満体の分離不安になってしまった。
留守番中の犬の世話を頼まれたときは、トイレの掃除や給餌は想像していたものの、始終膝にのせていなければならないとは聞いていなかった(泣)。おかげで一週間プチ石抱きの刑状態。
いつでも私に体を密着させ、トイレでもお風呂でもついてくる。
24時間ものすごい量の愛情を求めてくるし、ものすごく一途にこちらを信頼して委ねてくる。犬と付き合うことがこんなにも重い(身体的にも精神的にも)ものだとは!
それでも、こちらの心の奥まで届くような深い目をしてじいーっと見つめられると燃料切れになるまではこちらの愛情を注ぎ続けなければ、という気になってしまう。

そのメリーももう14歳、犬の老いに自分を重ねて一層愛おしくなると親は言っていた。
ひどい鼾と口臭、目は白内障、耳は遠くなり、太りすぎで腰を痛め歩くときはヨタヨタ、乳首は真っ黒、醜いイボができて、後肢を開く前からすでに尿が出ているし。
ああ、私も今にこうなるのだろうか。
小さい頃はビロードのような毛並みを輝かせて、よく跳びよく走ったものだったが。

雨上がりに庭に出すと、ヨタヨタ歩きながら巨大なナメクジを踏んづけ、まっすぐ私の膝に乗ってきた。私の悲鳴も聞こえていないのか、彼女なりの老獪さを身に着けたのか。

確かに、自分の老いは考えただけでおぞましいが、メリーのは愛おしい。

戸建って忙しい?

実家の留守番をするためにしばらく帰省していました。

f0064818_12131364.jpg親に留守番を頼まれたときは、「5月といえば最初のプランニングがあがってきて、忙しくなる頃かも...」と内心心配だったのに、何の連絡もなし...うーん、いいんだか、悪いんだか。

久しぶりに戸建の暮らしを体験したのだが、ゆったりしているようで忙しく、せわしないようでのんびりして、山と持ってきた本を読むこともなく、パソコンにかじりつくこともなく、テレビやビデオを見る気にもならず、なのにあっという間の一週間だった(なにやってたんだろう)。

雑事をこなしていくうちにすぐに日が暮れてしまう。朝刊を取りに行って、仏壇に挨拶して、庭木や縁側の植物に水を遣って、犬や熱帯魚や鳥の世話をして、郵便物や回覧板を受け取って、近所の人と話をして...ああ、もう夕刊を取りに行かなくちゃ。
その間にもいろんな人が訪問してくる。ヤクルトのお姉さん、和尚さん、町内会長さん、庭に入ったボールをとっていいですか?と子供達。

これといって何もしないのに、「これでいいのだろうか」と不安になることもなく、都市に住んでいるときのように、あの展覧会を見に行かなくちゃ、あの映画や話題のレストランにも行っておかなくちゃという欲や焦りもなく、ただただ日常の雑務をこなしているうちに一日が過ぎてゆく。

故郷が嫌いで早く家を出たいとイライラしていた高校生の頃、こんな田舎で刺激のない生活を送る親や周囲の大人たちが不思議だった。
でも今にして思えば、親の人生も私の一週間の滞在みたいにあっという間だったんだろうな、と思う。
私も、家が完成したらそんな生活が始まるのだろうか、私なりの晴耕雨読、そういうのも悪くないかも。

新しいことはよいことだ?

我が愛車はH社のコンパクトカー、走行距離は8年目で7万キロ程、5万キロ代くらいから故障が続いて、一向に直らない。修理のたびにサービスマンは違う部品を交換、
「直ったかどうかはわからない。新車に買い換えたらどうだ」
みたいなことを言われる。
私の信条も「車は走ればよい」から、「走らなければイカン」に変わってしまった。
走らないのは論外だが、先日はデザインに無頓着なうちの親にさえ、お前の車は見ただけで古いなあ、と言われてしまった。
デザインのダサさは、早いサイクルで買い換えさせるシステムのひとつなのか?
いつまでもかっこよいと、買い換える人がいなくなってしまうから。

年末に買い換えたケトル、ピカピカ光り輝き、それを置いただけでキッチン全体の価値がちょっとアップするかのようだったのに、4ヶ月経って随分情けない状態になってしまった。
真面目な主婦でない私には毎日ケトルを磨くより、汚れやキズも味になる方向でいきたいのだが(苦笑)。

今の世の中はパッパと買い替えてゆくことで動いているらしい。
だから購入したときがそのモノの最高の状態で、後は落ちてゆく。

新しいものを手に入れたときの快感というのも捨てがたいけれど...。
変な便利機能は要らないので、末永く使え、古臭くならず、経年がかえって味を増す、家に関してはそういうのが理想だ。