空につながるための家

カテゴリ:トリー闘病・ペットロス( 11 )

トリー闘病11 〜カラーとハーネス購入〜

5月5日夜から、添い寝を1階和室から、2階リビングに変更。
階段の昇降は夫に頼るしかなかったのだが、かなりの負担だったし、寝るのも、トイレも、極力2階で済ませ、トリーが普段一番好きだったソファでゆっくり休ませたかった。
とはいえ、ソファで寝ていても、結局私の布団に移動してきて、占拠されながら一緒の布団で寝ていたが。

朝、立ち上がったトリーがバタンと倒れた。
本当に、みるみるうちに症状が進み、昨日できたことができなくなってゆく。

キャリーハーネスが入荷したとの電話を受けて、近隣のショッピングモールへ行った。
車の中は泣くのにちょうどよくて、運転しながら獣のように大声をあげて泣いた。こんな風な声をあげるのは、人生初めてだった。
前日、脳腫瘍の診断が下されて、やはり、これまでの「疑いがある」というのとは全然違う。重苦しい大きな塊をお腹の中に抱えているみたいだった。

うちでは泣かないようにしよう。
トリーが、「ああ、辛気臭いなあ。この人はいつも泣いてるなあ」という記憶を最後に抱いたまま逝くと、全てがそれに塗り替えられてしまいそうだった。トリーの目に映る私はいつも普段通りで、いや、普段よりご機嫌でいっぱい笑って、いっぱい褒めてやろう。

モールは、幸せそうなワンコと飼い主であふれていて、目や心に痛かったが、不思議な気持ちだった。トリーが横にいてモンベルへ入ったり、スタバに寄ったり、ジョーカーでおやつを買ったり、それが普通なのに。

カラーがボロボロだったけど、いつか時間があるときに新しいものを買ってあげるね、とそのままだった。
ボロボロの革のカラーは、今のトリーにはいかにもごつすぎて重すぎて、いかにも首がつらそうに見えた。
モンベルで、軽量のものを購入。
キャリーハーネス(抱っこひものようなもの。階段の昇降に使いたかった)は、事前に電話で在庫を確認したにもかかわらず、店員さんのミスで、サイズ違いだった。Lサイズは取り寄せで日数がかかるとのこと。普段だったらなんとも思わないことが、ものすごく腹立たしかった。
この日は歩くときに支えられるよう背中にハンドルのついたハーネスを購入。


処方薬:
プレドニン(ステロイド。炎症をおさえる)
グリセリン(脳圧を下げる)
ATP(血流量を増加させる)
ハイゼット(自律神経の調節)
ガスター(胃薬)

今日もうんち出ず。やはり庭や室内ではしたくないし、するモードにならないのだろう。
お腹の中でつまって苦しいのではないかと心配。

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朝のトリー。私の枕を占領。

トリー闘病10 〜B病院へ行く〜

トリーは、自分からは食べられなくなったが、私の手からならまだ細々と食べることができていた。食事の量も少ないのだが、前日からうんちをしていないのも心配だった。
階段の上り下りは休暇中の夫にお願いしていたが、もうすぐゴールデンウィークも終わる。モンベルから出ているキャリーハーネスを注文した。私のような女性でも抱っこできるそうだ。この情報を知ったのは、トリーを飼う前によく拝読していたドベブログの記事からだった。ことごとく皆さん他界されていたのにショックを受けたが、介護の情報は本当に助かった。

9時の診療開始時間を待ってB動物病院に電話して、無理に院長先生の今日の診察にねじこんでもらった。
友人がうちに来てくれ、別の友人のワンコが使っていた犬用担架やハーネスを、使うときが来るまでと、貸してくれた。
その友人が付き添ってくれてB病院へ。3列シートの後部座席を倒して大きなベッドのようにアレンジしてくれて、おかげでトリーも快適そうだった。道順や病院のシステム等々、わたし一人でも行けるよう都度細かく教えてくれた。
皆、最近愛犬を見送った人たちだ。ありがたく心強かった。
トリーは、大好きな人達と車でお出かけで、ずっと「がんばってるね、えらいね」と褒めてもらって、特別な日みたいでちょっとうれしそうだった。
過密スケジュールの中、院長先生が少しでも空いた時間に呼んでくださるとのことで、別館の待ち合い室で、バスタオルの上に寝転んで、わざわざ作ってくれたできたての酵素水を飲んで、まったりキャンプしてるみたいだった。
1時間半位待って、診察室に呼ばれて、若い獣医師から問診を受け、体重測定(27kg。ショック)、採血をして、それからまた1時間くらい待って、院長先生がやってきた。
短髪の五十代位の方で、声が大きくて精力的で気さくで、お坊さんみたいな方だなと思った。
無理やり診察に割り込ませていただいたけれど、丁寧に丁寧に触診していただいた。触って状態を知るのがこの先生の診察の特長らしい。
知らないところで知らない人にいやなところを触られたりつつかれたり叩かれたり、それでも従順に受け入れるトリーを見ていたら、なんにも訓練が入っていない、信頼関係もない、まっさらな子犬の頃が思い出されて、泣けてきた。

院長先生の見立ては、やはり脳腫瘍、もしかしたら脳炎かもしれない、とのことだった。
余命は?と聞くと、ちょっと苦笑いされた。そうですよね、MRIも撮ってないのに。
院長「うーん、薬が効けば年単位、効かなければ数ヶ月かな」
トリーは、ガクッと弱くなる子、石にしがみついてでも...というようなところのない子だから、頭の中で、ちょっと差し引かなくちゃな、と考えた。

大学病院に紹介状を書きますが転院しますか?と聞かれ、脳腫瘍か脳炎かで治療内容が変わらないのだったら、こちらでお願いしたい、延命より苦痛を取り除いてやりたいという希望を伝えた。
治らないものだったら、また転院、検査で負担をかけたくない。

点滴:
ソルコーテフ(ステロイド剤)
ミラクリッド(膵炎やショック状態の改善に用いる)

点滴の最中、友人から電話があった。
ゴールデンウィークに帰省した際、会おうって約束していたのだった。
友「今どこ?(ニコニコ)」
私「病院です」
友「どうして?」
私「家族が脳腫瘍と今伝えられました。わーんわーん」
友「泣かないで。泣かないで」
ものっすごくびっくりしてた。ごめんね。

点滴が終わったのはとうに診療時間を過ぎた8時過ぎだった。
帰宅して、深夜2箇所の職場にメールを書いた。
家族の病気でやめさせてほしいと。

処方薬:
プレドニン(ステロイド。炎症をおさえる)
グリセリン(脳圧を下げる)
ATP(血流量を増加させる)
ハイゼット(自律神経の調節)
ガスター(胃薬)


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がんばって点滴を受けてるトリー。えらいね。

トリー闘病9 〜トリーが吐いた〜

朝、トリーが吐いた。最初、いつものようにガツガツとフードを食べかけて、食べられなくなってしまった。自分でも意外そうだった。なんで僕食べられないんだろうって顔してた。
そうだよね、初めてうちに来た日も、断耳で大量出血した日も、去勢手術の後麻酔やら痛みでヨロヨロしてた日も、どんなときでも、トリーが食べられないってなかったから。

ステロイドと抗生剤を昨夜と今日の2日分もらっていたが、今日の分を与えるのは控えた。
それでも、トリーはまだ元気にしていた。
ヨロヨロ歩きながらも階段を降りようとするので、目が離せなかったから。
お散歩に行けない代わりに庭に出した。
芽を出した苗を踏んづけて、あーっ!しょうがないなあって、叱ったり、残念がったりしてた頃が、無性に懐かしかった(ほんの数日前なのに)。

休日で病院は開いていない。
今日B動物病院に電話をしても通じないし、D医療センターに決めていたところで最短で診てもらえるのは5日だった。
だから、今は何も打つ手がない。
それでも、不安で、これでよかったのかな、最良の道を行ってるんだよね、と何度も夫に確認した。

それから夫と、最悪の場合のことを話し合った。
自分が乳がんになったとき思ったのは、治らないなら、延命治療はなるべくしたくないなということだった。
この先寛解するという希望があれば、辛い治療でも先に楽しみがある。でも、治らないものなら、無治療はないけど、積極的な治療できつい副作用に耐えて1日でも長く生きるより、残り時間が短くなっても、緩和を中心にして、なるべく穏やかに笑って過ごしたい。重粒子線とか免疫療法とか、お金がかかる治療もしたくない。
トリーが脳腫瘍だったら、もう治らないってことだよね。手術で腫瘍を摘出したり、毎回全身麻酔で放射線治療を受けさせるより、元気でいた頃のように、いつものソファで安心して寝かせてやって、最期までずっと私がそばにいて見守ってやって、できる限り投薬で痛みや苦しみを取り除いてやりたい。
それでいいかな、うん、そうしよう、だから、D医療センターに行かない選択でいいんだよね、そういうことを話した。


今、トリーが生きていて、息をして温かいということがありがたくて、元気すぎるほど元気なのがいつも冗談の種だった、何事もない日常というのがどんなにか貴重なものだったか痛いほど実感した。
なのに、私はトリーのすぐ横にいて、トリーを見ないで、スマホの画面ばかり見ていた。
「犬・脳腫瘍」とか「ドーベルマン・歩行障害」とか、いろんなキーワードで必死に情報を集めていて、それらを上手に利用するというより、そうした文章を読んでいることで少しでも気持ちが落ち着いた。

この日も、一緒に一階の和室で添い寝した。

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今思うのは、痛みなく、穏やかに笑って死ぬなんて不可能だってことだ。
昨日できたことが今日はできない、そうやって当たり前に享受していた幸せなたくさんのことを、ひとつひとつ手放していかなければならないのは、かなりがっかりすることだし、当然痛みや苦しみを伴うだろう。
心と体が健やかに動いていたその複雑巧緻な機能が完全にストップするまでには、すさまじい勇気や忍耐が必要なのだと思う。
どこまで治療をがんばって、どこから緩和中心に考えるのか、自分自身であっても難しい。
まして、言葉が話せない、自分で治療を選べない犬ならなおさらだ。
自分の病気、自分の体だったら、自分が選択した道をいけば、後悔はあっても最後の最後に折り合いはつくんじゃないかと思う。
ペットの場合は、ずっと答えが出ないことを引き受けるしかないんじゃないだろうか。

トリー闘病8 〜急変〜

朝、近所の公園を散歩したとき、ふらふらっとバランスが取りづらい歩き方になり、公園入り口を入ったすぐのところで、バタンと倒れてしまった。前日までは後肢はふらつくものの元気いっぱいだったのに。
なんでもないことのようにふるまって、「大丈夫?やだなあ。はいはい、行こうね」と励ましたのだが、もういいです、うちへ帰りましょう、と言い出した。公共の場ですっかり自信をなくしてしょんぼりしているとか、自分でもなにが起こっているのかわからなくて戸惑っているように見えたけれど、実際のところ、かなり調子が悪く、もう散歩どころじゃなかったんだろう。
「トリちゃん、じゃあ、あそこのベンチで豚耳食べて帰ろう」
大好きなおやつとなると話は別だった。目を輝かせて10m位離れたベンチまで自分からずんずん歩いていき、そこでおすわりさせ、もうちょっと散歩を楽しんでからあげるはずだった豚耳を食べさせた。
でも、悲しそうな顔をして食べない。

...え?

じっとこちらを見つめる顔、左の唇がだらんと垂れて頬からよだれが出ていて...異常だった。
「しょうがないなあ。こっちの歯で食べなさい」
ことさらになんでもないようにふるまって、もう片方の奥歯で噛ませて食べさせて、うちに帰ったが、ぼんやりしている。
そのうちに、左顔面の下垂が目立つようになり、息が荒くなってきた。

かかりつけのAペットクリニックに電話したが、祭日で誰も出ない。以前だったら休診じゃなかったし、必ず電話に出てくださっていただろうけれど、もう両先生もお歳を召していらっしゃるから...
かかりつけじゃない病院で知らない先生に診てもらうことで、かえってトリーを疲れさせ、ストレスをかけるんじゃないかとためらいながらも、そんなこと言ってられる状態じゃないと、電話帳やらインターネットで調べて、とにかく近いところから電話をかけまくったが、どこも休診。
昔から個人でされているクリニックにかけたとき、転送されて、パチンコ屋さんにいるらしいおじいさんの先生が出られて、救急病院に行きなさいと助言していただいた。
初めて電話が通じて、受話器の向こうの温かい口調に初めてほっとした。早速救急病院で予約をとったのだが、診療開始時間は19時、それまで待つ時間も惜しくて、また電話をかけまくった。
うちから車で30分ほどのC動物病院に電話がつながって、1時間近く丁寧に経過を聞いてくださり、個人病院であるC動物病院でできること、できないことを説明してくださった。それ以上の高度な検査や治療はD医療センターを紹介していただけるとのこと、とにかく早く診てもらいたくて、トリーを連れて、夫とC動物病院に向かった。

おでかけで興奮して、元気になってしまったトリーは、タカタカ走って病院に入り、C先生を驚かせた。
「電話の感じだともっと悪いと思ってたんですが、今、元気ですねー」
C先生は、長髪を後ろに束ねた四十歳位の男性で、いつも通っている美容院の美容師さんを思い出させる風貌だった。

2時間以上かけて足をつついたり、叩いたり、ぐっと押して戻りを診たり、血液を採取して、機械でも、顕微鏡を使って目視でも検査していただき、耳の中からお尻の穴まで全部チェックしていただき、それを、私達夫婦に噛み砕いて説明してくださった。

初めての病院だったけれど、トリーに口輪をしないで、やさしく接してくださり、トリーもリラックスして、診察室から先生がいらっしゃる奥の検査室までトコトコ歩いて見に行ったほどだった。

結果:
左顔面麻痺、チック
眼振(ひどい目眩でぐるんぐるん世界が回っている状態だろうと)
右目の反応鈍い。眩しがらない。
足の麻痺は深刻ではなく、反応もある。目眩のためにふらつくのかもしれない。

<血液>*基準値外のものだけ抜き書き
WBC 白血球 43 (どこかで使われているのかもしれない)
Lym リンパ球 5 (ストレス?)
Plt  血小板 6.1 (どこかで出血している?)
CRP 炎症反応性蛋白 2.0 (感染、炎症)
GOT 肝酵素 62
TCHO 総コレステロール 318
ALB アルブミン 2.4

脳、神経、血小板...ひとつの病気から来ているものか、複数の病気が重なってこの状態になっているのか、個人病院で自分ができることは全てした結果、それぞれの可能性を示唆することはできても病名を特定することはできない、とのこと。
これ以上はD医療センターで精密検査をするべく、検査しながらも、何度も頼み込むように予約のお電話をしつづけてくださっていたのだが、そこで私が友人からのメールを開き、5月7日にやっとこさ予約を入れてもらったB動物病院でも、容体の悪化を伝えれば休診日でなければ予約なしで診てもらえるよ、とのこと。
D医療センターでも、B動物病院でも、最短で診てもらえるのは5月5日。
実は、D医療センターがめちゃめちゃ設備がよく、めちゃめちゃ治療費がかかるという話はお散歩のときに出会ったおじいさんから聞いていた。説明のないまま検査に数十万円、入院で数十万円、結局おじいさんの愛犬は亡くなってしまったそうだ。この日D医療センターでは初診料と休日診療料に◯万円かかる、と聞いたとき、夫は治療費全部の金額だと勘違いしていた。二桁違うだろうことを言えない。。
B動物病院で助かった胃捻転のワンコ、B動物病院で痛みをコントロールして最期まで幸せに天寿を全うした骨肉腫のワンコ...B動物病院ではいい評判ばかりを耳にする。

私「あのう...B動物病院で診てもらおうと思うんですが」
C先生がぎょっとして、D医療センターとの電話を打ち切り、お気持ちを切り替えるように大きなため息をついて、忘れられない言葉を口にされた。

C先生「わかりました。今、soraieさんがされた選択が一番いい道なんです。決して後悔しないでください」

どんな道をたどっても、後悔することをわかって、おっしゃってくださったんだと今はわかる。獣医師って、患畜だけでなく、飼い主も治す職業なんだ。


脳腫瘍にしては元気すぎる、こんな元気じゃいられないはずだ、っておっしゃってくださったけど、脳腫瘍かもしれない。複数の症状が複数の原因でいっぺんに出ることって考えにくいから...
「可能性がある」はっきりとはおっしゃらなかったけど、最悪の病気へ私達の気持ちをソフトランディングさせてくださったんだなと今ではわかる。

処方薬:
抗生剤(マルボフロキサシン)
ステロイド(プレドニゾロン)


1階の和室に布団を敷いて、添い寝した。階段の昇降はなるべくさせたくなかったし、ここなら玄関脇で、すぐに庭に出してトイレさせることもできる。トリーは寝返りを打てなくなっていて、介助しながら夜を明かした。
押し合いながら一緒のシングルベッドで寝ていたのに。邪魔だよとか蹴ったりして。

もっと悪くなったら、2階のリビングで過ごすことになるだろうけど、まだ先だって思ってた。
トリー、ごめんね。私よりお前の方がずっとひどい目眩だったんだね。トリー、こんなひどいことになっていたのに、ごめんね。
早く5月5日になりますように。早く診てもらおう。


この日から半年経った今でも、病院の選択について誤りだったと苦い気持ちがこみ上げる。でも、D医療センターでも、第三の選択の大学病院でも、トリーは助からなかっただろうし、最期の日々を不安や苦しみなく過ごすことは難しかったと思う。

トリー闘病7 〜病院の予約を入れる〜

トリーを病院で診てもらおうと思ったとき、子犬の頃からいつもお世話になっている近所のAクリニックに連れて行く気になれなかった。

Aクリニックは、ベテランの獣医のご夫妻がなさっていて、スパッと決断の早い奥様が院長をされ、穏やかでやさしいご主人が主に休日や夜間を担当されていた。
訓練が入っていなくて、暴れ馬みたいだったトリーを、「この子は性格よしおくんだ」と励ましてくださったり、断耳のあと夜中に大量出血したトリーを「不眠症ですからいいんですよ」と診てくださったり、このご夫婦に最後までお世話になるんだと、信頼していた動物病院だった。
でも、お二人も歳を重ねられ、院長先生の奥様に代わって最近は若先生の娘さんが主に診療をされるようになり、ご主人もお仕事を離れ、引退されているご様子だった。

若先生は、痛みを伴う治療中でも決して鳴いたり暴れたりしないトリーに、口輪を使った。
供血のために治療台の上でがんばるトリーにご褒美のナマ肉を用意したときも、口輪のせいで、与えることができなかった。娘さんが、「トリーくん、おりこうね~」とおっしゃるたび、心のなかで、「おりこうだと思ってないくせに」としか思えなかった。
薬の量を間違えられたり、トリーの年齢を間違えられたり、小さなミスが続いた。
トリーが子犬の頃から悩んでいた下痢も、数年前からときどき起こっていた腰の痛みも、結局原因がわからないまま(膵臓が悪いんじゃないかとか、自己免疫の問題で検査も治療もできないとか)、そのときそのとき対処して、なんとなくここまできてしまっていた。

患畜のほとんどは小型犬で、待合で、怖いとか、噛まれるとか、あからさまに言われたり、嫌な顔をされたりして、後から来た人に椅子を譲ってずっとトイレの前で立っていたり、外で待っていたり...そんな雰囲気だから、なるべく早くすませて帰りたいのに、私用の長電話で待たされて、会計が遅れたり。
犬を飼うときに、信頼できる獣医さんといい関係を築いておくことは大事なことだったのに、何年もの間に、小さなモヤモヤが積もって、いつの間にか、不信感を持つようになってしまっていた(トリーにとっては、Aクリニックは変わらず大好きな場所だった。小さい頃から行きつけていて、必ず治療をがんばったご褒美のおやつがもらえたから)。

Aクリニックじゃない病院へ連れて行こうと思ったとき、まず頭に浮かんだのが、訓練士の先生のお話にたびたび出てきたB動物病院だった。
訓練士の先生の愛犬もそこで九死に一生を得たそうだ。関西から通ってくる人もいるらしい。

B動物病院に電話をして、院長先生を指名し、一番最短の5月7日に予約を入れた。

そんなことないと思いたいけど、連休明けの福島旅行はもしかしたら最後の遠出になってしまうかも。うんといい旅にしようね。
ふたがカパカパだったトリーツバッグを新しく注文した。
だんだん歩行が不自由になっても、ちゃんとトリーの面倒をみられるように、私も体調を整えておかなくちゃ。
2年前から検診でひっかかっていた項目、病院に再検査の予約を入れた。
これから、ふたりでがんばろうね、トリー。
大丈夫、B動物病院はすごく有名ないい病院だから。

トリーの足に負担をかけないように、近所の公園をちょこっと散歩するだけにした。
痛みではなく、感覚がなくてフラフラする感じ。
公園を歩いていたおじいさんが、トリーを見て、手を差し出してきた。
近づいてかわいがっていただいた。トリー、よかったね。

いつも、公園から引き返そうとすると、もうちょっと歩こうよ、遠出しようよ、とねだるのに、この日はさっさとうちに帰るコースを素直に従った。
やっぱり辛いんだな。
5月7日にわかる。5月7日を待とうね。


獣医師に不信感をつのらせる前に、ひとつひとつ、ちゃんと言葉に出して解決しておけばよかった。
いつも通う町のクリニックばかりでなく、高度医療を行う大規模な動物病院とその特性、連休や夜間などにも緊急時に対処してくれる救急病院などについて、普段から情報を集めておくべきだった。


トリー闘病6 〜兆し〜

連休の始まり、今日はうーんと長いお散歩行こうねって思ってた。
朝起きて、一緒に1階のベッドルームから2階のリビングにあがって、トリーは朝イチのおしっこのために、早速サークル内にハウスして...あれ?トイレと反対方向の自分のバリケンにシャーシャー大量のおしっこしてる!
我慢させる場面があまりに重なると、違うところにトイレしたり、思いがけないイタズラをしたりすることがときどきあったから、それかと思った。
大声で叱らなくても、私が不機嫌な雰囲気を醸し出すだけで、トリーはすぐにゴメンナサイをした。
しょぼんとして、反省してるんですとオスワリしたのを見て、おもむろに私が、
「うん、よろしい。いい子だね」
と許して、トリーはちょっとテンションあがって、わーいわーいって駆け足して、それでまた私に叱られて、しょうがないなあって笑って... というのがいつものパターンだった。
でも、この日は、悲しい目をして、一生懸命オスワリをしようとするのだが下半身が中腰のままブルブル震えて、それでも必死にオスワリして、なんというか...異様だった。

「いいよ、いいよ」
トリーのオスワリを解いて、バリケンを持ち上げながら、おしっこの水たまりを何度も拭きながら、なんだかイヤな気持ちだった。
それでも、いつもの朝ごはんがフードボウルに入るカラカラいう音を聞くと、リビングをぐるぐる走り回ってバリケンに飛び込んで、元気いっぱいガツガツと食事している姿を見ると、不吉な雲が晴れてゆくようだった。

朝食のあと散歩に出かけた。
うんと遠出してたっぷり歩こう。カモや鯉を見ながら川沿いを歩いて、神社でお参りして、公園で豚耳食べて、お寺でお参りして、元気があったら2つ先の駅のたい焼き屋さんまで足をのばしてもいいよね。
頭の中でウキウキと今日のコースを組み立てる。これが最後の"いつもの散歩"だなんて、思ってもみなかった。

途中、高速の高架下で、歩きたくないんですって立ち止まった。
右に行くと、いつもよく行く森コースだから、そっちに行きたいのかと思って、
「今日は違うよ。長いお散歩だよ」
と促したが、じっと動かない。抱きしめて、お腹や首を撫でてやると、納得したようでまた歩き出した。
坂をあがって、踏切を渡って、また坂を下りて...このとき、めちゃくちゃ無理して、がんばって歩いてたんだろうね。
今日も猫がいるかな?なんて言いながら、猫の集会所になっている田んぼの道を歩いて、うんこして、そうしたら、また、もう帰りましょうって立ち止まった。
「どうしたの?今日は長いお散歩なんだよ」
促しながらトリーを見ると、悲しい顔をしている。なんだか後肢の運びがおかしい。ゴールデンウィークの初日で、明るい春の日差しの中のトリー、違和感、おかしい、どうしちゃったの?
恩田川のフェンスに針金でつった簡易ベンチで、豚耳を食べて、遠出はやめて引き返すことにした。
それでも、帰り道にハーブ園に寄って、バラはあまり咲いていなかったけれどハーブを見て、ベンチに座る私の横でご機嫌でオスワリしてたね。
信号で止まった車に乗ったご婦人が、トリーを見て車の窓を開け、手をのばして呼んでくれたね。近づいていったら頭を撫でてくれたね。

この日は私のめまいの症状が強く出ていたようで、ぐるんぐるん回ってるって、友達へのメールに書いてる。
それでも、同僚の方から連絡をいただいて、スケジュールを作ったり、テキスト選定したり、昼から夜までメールのやりとりしてる。
それをしながら、トリーの後肢のこと、必死にネットで検索してた。
いつもの腰痛(かかりつけの動物病院からは、リウマチを疑われていた)とは違う症状だった。この時点では神経とか、関節とかを疑ってた。「ウォブラー症候群」が頭にひっかかっていた。
「ドーベルマン」「歩行困難」...そんなキーワードで検索していくと、トリーを迎える前にいつも読んでいたドーベルマンブログに久しぶりに再会することとなった。みんな、みんな、亡くなってる。早いんだなあ。
飼い主さん達が書き残してくださったそれらの記事を読んでいくと、今回のは、今までみたいに、ケロッと元気になる種類のものじゃなくて、これから悪化してゆくんじゃないだろうか、一度ちゃんと検査して、体力のある今のうちに手術をしておいたほうがいいんじゃないかと思った。
これからは、長距離を歩かせたりはやめよう。
歳をとると、いろいろ出てくるものだよね。大丈夫、きっと大丈夫。ちゃんと診てもらおうね。


トリー闘病5 〜4月30日まで〜

4月は、バタバタしてた。
ギリギリまで詳細がわからないまま、仕事のスケジュールを組んだり、必要書類の用意を進めたり、仕事上の大きなイベントが重なったうえに、植木屋さん、通院...その合間に、夏休みに見学に行く予定だった海外の施設とやりとりしたり、年若の友人から助けて!と電話がかかってきたり。
本来仕事がない日も通勤したりして、帰宅がずいぶん遅くなったこともあったね。
私がケモブレインだかたもブレインだか異常に忘れっぽいのをいつもカバーしてくださったり、明るく受け止めてくださる方たちに囲まれて、ありがたくて、どんどん自分の体力の許容量を超えていってた。
トリーには私しかいなかったけど、私はいろんなつながりやしがらみや楽しみの中で生きていてね、ごめんね。どんな仕事よりお前の方がずっと大事だよ。働いていると、元気で生きてる実感がいつも濃厚に感じられたけど、お前の黒い大きい体の方がずっとがつんと確かな生きてる喜びだったよ。


4月6日にかかりつけの近所の動物病院で、健康診断をしてもらったね。
結果は、コレステロール値が高めな他は良好で、トリーも中高年になったってことだね、って夫と話してた。
いつも近所の川沿いの桜を見に行くと写真を撮ってたけど、今年だけは撮らなかった。来年も行けるだろうって思ってたから。

4月20日にフィラリアとノミダニ予防をしてもらったとき、まぶたのイボ(イボは1年ほど前からあったのだが、最近大きくなってきて、目やにが増えてきていた)について相談したら、今から取っちゃいましょうか?って言われて、急遽手術になった。
イボは良性のもので、心配いらないとのことで、目元がすっきりして、アーモンド型の瞳が涼しげな元のトリーに戻って、ああよかった、これで視界にイボが入ってうるさいことがなくなったねって思ってた。
そのあとの目薬や軟膏、台所で呼ぶといつも素直にじっとしてたね。そのあとご褒美のおやつがもらえるから喜んでたよね。


3.11のあと、東北に、特に福島に旅行するのが夢で、それが叶うときはトリーと一緒に、と思っていて、冬から猪苗代のドッグペンションに問い合わせていたのだが、お薦めは5月とのことで、着々と準備を進めていた。
ガソリンを満タンにしたり、新しいトリーツバッグを買ったり、新しいリードをおろしたり、散歩用のシャツや軍手を大量に買い替えたり。

三春町を歩けたらいいけど、犬連れだと難しいかもしれない。負担がないように、欲張らないで、さっと車で行って、さっと帰ってもいいよね。
6月には山梨にさくらんぼ狩りに行こうね。高尾山も登ろうね。そうだ、江ノ島詣でをした人は、大山詣でもしないといけないんだって。10歳までとして、残り少ない季節季節、そのときにできることをして、いつかしたかったことをひとつひとつ叶えて、うんと楽しもうねって思ってた。

4月28日と29日も、仕事でずっと留守番をさせてしまったね。
4月30日は、朝からイベントの準備をして、式ではうれしくてずっと泣いてた。そのあと走って急行に飛び乗って勉強会に参加して、懇親会も出席して、結局帰宅は夜になっちゃったね。
おじちゃん(夫)と二人でずっと留守番して、でも、夜はおじちゃんの一人すき焼き鍋のおこぼれにあずかって、牛肉をもらってたんだよね。
私には綱渡りのスケジュールだったけど、これでゴールデンウィークの始まり、時間はたっぷり、うんと楽しもうねって思ってた。

3日間も我慢させちゃったから、翌日からたっぷりお散歩しよう。
5月4~5日は私が帰省。 その間トリーは訓練士の先生のおうちで合宿だ。大好きな先生や他のワンコとも触れ合えるお泊まりは、トリーにも晴れのお出かけイベントだったよね。
5月7日はおじちゃんの誕生日だからお前もローストビーフにありつけるはずだった。
5月9~10日はいよいよ福島旅行。楽しいことが目白押しのはずだったね。


トリー闘病4 〜以心伝心〜

トリーがわかった言葉:

Sit(または人差し指を立てるアクション。反省の意を表すときいつも自主的にsitした) 
Down(または手のひらを下に下げるアクション)
Stay(または手のひらを見せる)
Come(いつでもトリーが一番好きな指示だった)
Heel(または左手で左の腿を打つアクション)
Stand(または手を水平に左から右へ)
Jump
お手(強烈パンチをよくくらった)
おかわり
ごろーん(横になって寝転ぶ。)
Kiss(猛烈にキスされ続けるのを防止するため。「キス!はい、止め!」)
Up(2階にあがる)
Out(口にくわえたものをリリースさせるとき)
House(バリケンや家の中、車の中に入る)

ご飯、食べる?、食べたい?、 お腹すいた?、おやつ、ねんね,,,

トリー、トーリー、トリちゃん、トリ君、トリ吉、トビー、黒い子...

いい子、おりこう、かわいいね、えらいね、すごいね

悪い子、あ!(警告)、No!、バイバイ

散歩、留守番、お水、雨、シーシー、ウンウン、お庭

センセイ(訓練士の先生が大好きだった)
XXセンセイ(この言葉で動物病院に直行した)
猫、鳥、うさぎ、おじちゃん(夫のこと。単身赴任が長かったので)、お友達

ちょうだい、もってこい
チューチュー(音がチューチュー鳴るおもちゃ)
スリッパ

...あと、なんだろう。思い出せない。
犬に文法はなかっただろうが、これらを組み合わせて理解できた。「お庭でシーシー」「チューチュー持ってこい」「スリッパもってこい」「おじちゃんが食べてるよ」等々

言葉じゃなくて、何か特別なやり方があったのかもしれない。トリーは私の言うことをかなりわかっていたし、言う前の思考までわかっていた。
おやつを前に、Stayをかけて、「よし」と言わなくても、目に柔らかい表情をにじませるだけで、食べ始めたし、「まだだよ」と言わなくても、ピリッとした雰囲気を出すだけで、ずっとStayしてた。
散歩中、進行方向にある横断歩道の信号が青の点滅になって、「あ、渡りたいな」と、心の中で思うだけで、小走りしてくれた。
トリーは私に以心伝心だったね。
私は世の中で一番トリーのことをわかっていた人間だけど、それでも全然わかっていなかった。
前から体がおかしかったんだね。頭も痛かっただろうね。めまいもあったろうね。
お前がいつも変わらず食いしん坊で元気でいてくれたから、こんなおもしろい楽しい子が悪い病気だなんて考えもしないで、お前に甘えていたよ。

トリー闘病3 〜普通の毎日〜

最近は仕事の量を減らしていたものの、準備したり、雑務や行事があったり、負荷が大きかった(でも、どれも達成感があって楽しかった)。

この秋~冬は一緒にシングルベッドで寝ていて、お互い無理はあったものの、かなりすごく暖かくて具合よくて、夏布団のまま春を迎えてしまうほどだった。

私はめまいに悩まされていて、起床時間の1時間位前から、徐々に頭を起こして、そーっと起きるということをしていたから、トリーにも付き合ってもらってた。
トリー「もう起きようよー。ご飯食べようよー」
私「まだよ、まだまだ。ねんねだよ」

いよいよ私がベッドから起き上がると、わーい、わーい、おはようってはしゃいでたね。朝からテンション高くていつもご機嫌だったね。
庭かケージ内のトイレでおしっこさせて、フードをちょびっと(夫が独身時代カップラーメンを作るのに愛用してた計量カップに山盛2杯が1日の量だったけど、お腹に負担をかけないよう、それを何回にも少量に分けて与えていた)。
高い棚の上に置いたフードの袋を取るために、椅子に乗るのを見るや、喜びのあまりぐるぐるリビングを走り回ったね。
ステンレスの餌入れに、カラカラカラ~って、フードを投入する音を聞くと喜びも頂点、大変だー、一大事だーって真剣な顔で、バリケンに駆け込んだね。
1日に何度もそんな幸せの絶頂に立ち会えて、私も楽しかったよ。
ゴミ出ししたり、表を掃いたり、洗濯物を干したり、私が動く度に一緒について回って、しおらしい顔をしたり、反省してみせたり、ぱっと明るい顔をしたり...賑やかでせわしなくて、いつもおもしろかったよ。

仕事がある日は、近所の公園まで短めのトイレ散歩、帰ってまたご飯、その後、11時前から夜までずっとお留守番だった。スーツケースや板で作ったバリケードを越えて、私のベッドルームに入り込んで寝てたね。

仕事がうまくいかなくて落ち込むこともあったけど、自宅の駐車場に車を入れて、エンジンを切ると、玄関の扉の向こうからピーピー甘え鳴きする声が聞こえてきて、どんな疲れも悩みも吹き飛んだよ。あのピーピー声があんまりかわいらしくて、しばらく車内で聞きほれてたこともあった。
玄関をあけると、靴をくわえて2階に駆け上がっていったね。ダメッ!と阻止すると、洗面所に走って行って、足拭きマットをくわえて駆けていったね。
私が着替えていると様子を見にきて、バッグに顔を突っ込んで怒られてまた2階に駆け上がって。

私が自宅でイライラ仕事の準備をしていると、あんなにべったり甘えん坊なのに、ふっと思い立ったように階下に降りていったね。
ピリピリしてる人と同じ部屋にいたくないよね。ごめんね。怒ってた訳じゃなかったんだよ。
それでも傍に来ておすわりをしてじっとこちらを見つめて、
トリー「あのー...何かお忘れじゃないですか?」
私「お散歩?ご飯?しょうがないなあ」

お散歩中もずっと仕事のことを考えたり、ぶつぶつとシミュレーションしたり、アイデアを振り絞ったり、上の空の人とお散歩しても楽しくなかったでしょう?それでも協力してくれてたね。

夫は帰宅後、りんごをひとつ食べるのがいつもの日課だった。
そのおこぼれをもらうのがトリーの夜の楽しみだった。
りんごの皮をむきはじめると、鼻を切り落としてしまうんじゃないかというくらい顔をまな板に近づけて、じーっと凝視していた。
厚めに切った皮をやると、ピラニアのように目をむいて食いついてきたね(お腹に悪いから少しだけ)。
芯を取って8等分にした1切れを細かく切り始めると、大変だー、一大事だーと躓きながらバリケンに飛び込んでいったね。

私がお風呂に入っている間も覗きに来たり、脱衣所のパンツやソックスを盗んだり、やりたい放題だったね。
一緒に寝る前、いつも勿体つけて、お前なんかあっちへ行きなさい、今日は私のベッドには入れてやらないよ、と言ったのは、ええーっ!??(悲)、もういっぺん頼んでみよう(希望)、本当にいいの?やったーっ!!(喜び)、気が変わらないうちに早い所布団に潜り込まなくちゃ(焦り)...くるくる変わる表情が面白かったからだよ。


仕事が休みやキャンセルになったときは、長いお散歩や車での遠出、ワクワクしたよね。
自宅から半径4km以内は、歩いていない道はないんじゃないかという位、歩き回っていたけど、なるべく知らないところに行こう、歩いていない道を歩こうって決めて、いろんなところに行ったね。
遠くにこんもり木が茂った神社や、瓦屋根のお寺らしきものが見えると、そこまで歩いて行ったっけ。この辺りの神社仏閣でお参りしていないところはないんじゃないだろうか。道道のお地蔵さんにも必ず、私とトリーの健康祈願していたから、バッチリだって思ってたんだけど。

川や森、お前の大好きなグランベリーモールは閉鎖されちゃうんだって。タイムスリップしたみたいな里山の風景、駅前の鯛焼き屋さん、ドッグカフェ、焼き鳥屋さん、寺家ふるさと村から三輪まで歩いたこともあったね。芹が谷公園、薬師池公園、小野路...
湘南はよく通ったね。観音崎、秋谷、江ノ島、七里ガ浜から長谷。夢見が崎の動物園に行ったときは興奮してたねえ。夕日の滝では堀北真希さんのご主人に会ったね。みなとみらいでは華麗なジャンプでソフトクリームを食べられちゃったね。

歩いていると、いろんな人に話しかけていただいたね。昔自分も犬を、ドーベルマンを飼っていたと懐かしそうにその子の名前や、どんな子だったか、教えてくれた人たちが特に心に残ってるよ。
心臓の病気のあと毎日歩いてた魚屋のおじさん、いつも自転車に乗ってた東北訛りのおじいさん、亡くなった愛犬が夢に出てから立ち直ったと言っていた女の人、みんな、幸せにしてるかなあ。

仕事のない長期休みの日、朝起きて、「どうする?海行く?山行く?川?どこでもトリーの好きなところに行こう」っていうときが最高だった。

本当に本当に、毎日幸せだった。

トリー闘病2 〜お互い歳をとったよね〜

トリーはずっと小さい子供みたいでいてくれたけれど、1年くらい前から、おじいさんになったなあという場面が増えてきた(脳腫瘍がさせていたことなんだろうか)。

3年ぐらい前だろうか、時折腰が痛むようになって、ドッグランなどで激しく走らせることは控えていたのだが、ジャンプの掛け声で、高いところに飛び乗ったり、障害物を飛び越えたりするのは大好きだった。
目を合わせて、にやっと楽しそうな雰囲気を出すだけで、「ジャンプ?ジャンプ!ジャンプしたいよー」と、のってきたし、散歩中もっと遠くまで行きたいのに私が帰ろうとして、固まって拒否しているときも、片脚を上げて「ジャンプ!」って言うと、騙されて、ジャンプして、そのあと自宅まで歩いたものだった。
よく保育所の赤ちゃんたちが公園で遊んでいる前を、おすわりさせてジャンプさせて、拍手喝采をあびたっけね。保育士さんに、ありがとうございます、なんてお礼を言われて。

あんなにジャンプが好きだったのに、今日はいいです、ってのってこないときがあったね。

おでかけのとき、喜び勇んで車に乗っていたのに、おやつを見せてもじっと立ち止まって、事情があるんですというように考え深そうにしていて、よっこいしょと下半身を持ち上げて介助すると車に乗り込んだね。
夜、私のベッドに潜り込むときも、おふとんに入っていいよって許可すると、喜び勇んで、私の気が変わらないうちに早くしなくちゃって焦ってベッドの上に飛び乗ったものだけど、じいっとしばらく考えたり、飛び乗ろうとしてこけちゃうことがあったね。

口の周りにも白髪が増えて、若犬の印だった前脚の黒い斑点もなくなって、トーリーじいちゃんなんだね、って思ってたよ。3歳位からかな、落ち着いてきて「えらいね、もうお兄ちゃんだね」ってよく言ってたけど、もう、お兄ちゃんじゃなくて、おじいちゃんなんだなって思ってた。

私もね、おばあちゃんになったよ。
今ホルモン療法をしていて、そのせいかもしれないけど、脳の認知機能がものすごく衰えていて、言葉や数字を記憶したり、文章を読んで一度で内容を理解したり、電車を乗り換えたり、そういうことが難しいお年寄りの気持ちがやっとわかったよ。
めまいとか睡眠障害とか、あと、右腋のリンパをとってから、右側で重いものを持てないとか、傷つけちゃいけないとか、いろいろあってね、無理しすぎないように加減しながら、だましだましそーっと、人様に迷惑かけないように時間をかけてチェックして、生きていこうって思ってた。
おばあちゃんでいることに全然不満はなかったよ。
同じ病気だった友達は、もう一度働くのが夢だって言って亡くなったから、なんでも食べられてどこへでも行けて働けて、こんな幸せなことはないって。

いつかしよう、じゃなくて、なるべくしたいことは叶えて、でも、欲張りすぎないで、無理しないで、って思ってた。
結果的に、トリーにしわ寄せがくることが多かったね。誰よりも自分に近い「身内」だから、しわ寄せしたり後回しにしたり、我慢させてしまったね。一番大事だったのに。
おじいちゃんとおばあちゃん、頼りないペアだったね。ごめんね。